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京都地方裁判所 昭和63年(ワ)2248号 判決

原告 A野太郎

右訴訟代理人弁護士 尾藤廣喜

同 莇立明

同 浅野則明

同 飯田昭

同 加藤英範

同 久米弘子

同 佐藤健宗

同 高見澤昭治

同 出口治男

同 寺田武彦

同 中島晃

同 三重利典

同 脇田喜智夫

同 高山利夫

同 中村尚達

平成二年(行ウ)第一七号事件被告 厚生大臣 宮下創平

昭和六三年(ワ)第二二四八号事件被告 国

右代表者法務大臣 中村正三郎

被告両名指定代理人 河合裕行

〈他9名〉

主文

一  平成二年(行ウ)第一七号事件被告が原告に対し昭和六〇年一一月二八日付けでした原子爆弾被爆者医療認定申請却下処分を取り消す。

二  昭和六三年(ワ)第二二四八号事件被告は原告に対し四七二万〇八〇〇円及びこれに対する昭和六三年一〇月一三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  平成二年(行ウ)第一七号事件

主文第一項と同旨。

二  昭和六三年(ワ)第二二四八号事件

主文第二項と同旨。

第二事案の概要

平成二年(行ウ)第一七号事件は、同事件被告(以下「被告厚生大臣」という。)が原告に対し昭和六〇年一一月二八日付けでした原子爆弾被爆者医療認定申請却下処分(以下「本件処分」という。)には原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下「原爆医療法」という。)八条一項の解釈適用の誤りの違法があるとして、原告が被告厚生大臣に対し本件処分の取消しを求めたものであり、昭和六三年(ワ)第二二四八号事件は、同事件被告(以下「被告国」という。)の公務員である被告厚生大臣が故意又は過失により違法に本件処分を行い損害を与えたとして、原告が被告国に対し医療特別手当相当額等の損害賠償を求めたものである。

一  争いのない事実

1  原告は昭和二〇年に広島市皆実町一丁目暁第一六七一〇部隊の船舶通信補充隊に所属していたが、同年八月六日に同部隊通信講堂内において投下された原子爆弾(以下「原爆」という。ただし、法令中の場合は略称しない。)に被爆した。

2  原告は、肝機能障害及び白血球減少症があると診断され、昭和六〇年五月一九日付けで被告厚生大臣に対し、原爆医療法八条一項に基づいて肝機能障害及び白血球減少症が原爆の放射能に起因するものであるとの認定申請をした。

3  これに対し、被告厚生大臣は昭和六〇年一一月二八日付けで原告に対し「申請に係る申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との理由で同申請を却下する本件処分をした。

4  そこで、原告は昭和六一年二月一四日付けで被告厚生大臣に対し本件処分に対する異議申立てをしたが、同年六月二三日付けで「今日の医学的知見では、申請に係る(原告の)疾病は原爆放射能に起因するものとは認められない。また、当該疾病が放射能以外の原爆の傷害作用に起因するものとも認められない。」との理由で同申立てを棄却された。

二  原告の主張の概要

1  原告は昭和二〇年八月六日に広島市内に投下された原爆に被爆し、これに起因する肝機能障害及び白血球減少症に罹患した。

2  被告厚生大臣は昭和六〇年一一月二八日付けで原告の「申請に係る疾病が原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との事実誤認に基づいて違法な本件処分を行ったから、本件処分は取り消されるべきである。

3  被告国は、その公権力の行使に当たる被告厚生大臣が故意又は過失により違法に本件処分を行い原告に損害を与えたから、原告に対し当該損害を賠償する義務がある。

4  原告は、被告厚生大臣の違法行為により、昭和六〇年六月から受けられた筈の原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(以下「原爆被爆者特別措置法」という。)二条又は原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「原爆被爆者援護法」という。)二四条に定める医療特別手当を受けることができず、そのため次の損害を被った。

(一) 医療特別手当相当額

昭和六〇年六月から平成一〇年二月分まで別紙(一)記載の内訳のとおり合計一八七五万三五七〇円

(二) 慰謝料

原告は、被告厚生大臣の根拠のない本件処分により医療特別手当の受給の途を閉ざされ、また手当を請求するための訴訟の提起追行を余儀なくされ、精神的な苦痛を受けた。これに対する慰謝料は三〇万円を下らない。

(三) なお、原告は本訴においては、医療特別手当相当損害総額の一八七五万三五七〇円及び慰謝料三〇万円の合計一九〇五万三五七〇円のうち四七二万〇八〇〇円の支払を求める。

三  被告らの主張の概要

1  原告は肝機能障害が発生するに足りる程度の放射線の被曝を受けなかったから、原告の肝機能障害は放射線に起因するものとはいえないし、白血球減少症も放射線の被曝による骨髄の造血機能障害によるものではない。

2  被告厚生大臣は、原爆医療法八条一項に定める認定申請を受けた場合、申請に係る負傷又は疾病が原爆放射能に起因すること、現在医療を要する状態にあることの二つの要件が充足されるとき、当該申請に係る認定処分を行うが、原告の認定申請にあっては、当該疾病が原爆放射能に起因するものではなかったから、これを却下する本件処分を行った。

したがって、本件処分は適法であり、何ら重大かつ明白な瑕疵はない。

四  主な争点

1  本件処分の違法性

(一) 原告の肝機能障害及び白血球減少症は本件処分の申請時において「原子爆弾の傷害作用に起因する」(原爆医療法八条一項)(以下「起因性」という。)ものであったか。

(1) 「起因性」の立証責任の所在等

(2) 原告の被爆と肝機能障害及び白血球減少症の発症の機序との関連

(二) 原告は本件処分の申請時において「現に医療を要する状態」(原爆医療法七条一項)(以下「要医療性」という。)にあったか。

2  被告厚生大臣は故意又は過失により違法に本件処分を行ったものか。

3  原告の損害額(原爆被爆者特別措置法二条又は原爆被爆者援護法二四条に定める医療特別手当額)如何。

第三主な争点等に関する当事者の主張

一  原告の主張の詳細は別紙(二)のとおりである。

二  被告らの主張の詳細は別紙(三)のとおりである。

第四証拠《省略》

第五原爆医療法等の定め

一  原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(原爆医療法)(昭和三二年法律第四一号)(原爆被爆者援護法附則三条により平成六年一二月一六日廃止)は一条において「この法律は、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより、その健康の保持及び向上をはかることを目的とする。」と定めたほか、二条以下で被爆者の定義、健康管理、医療、原子爆弾被爆者医療審議会について以下のとおり規定(その後の改正分を含まない。)を置いた。

二条 この法律において「被爆者」とは、次の各号の一に該当する者であって、被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう。

(一)  原子爆弾が投下された際、当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内にあった者

(二)  原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内にあった者

(三)  前二号に掲げる者のほか、原子爆弾が投下された際又はその後において、身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者

(四)  前三号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者

三条1 被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は、その居住地(居住地を有しないときは、その現在地とする。以下同じ。)の都道府県知事(その居住地が広島市又は長崎市であるときは、当該市の長とする。以下同じ。)に申請しなければならない。

2 都道府県知事は、前項の申請に基いて審査し、申請者が前条各号の一に該当すると認めるときは、その者に被爆者健康手帳を交付するものとする。

3 被爆者健康手帳に関し必要な事項は、政令で定める。

四条 都道府県知事は、被爆者に対し、毎年、厚生省令で定めるところにより、健康診断を行うものとする。

五条 都道府県知事は、前条の規定により健康診断を行ったときは、健康診断に関する記録を作成し、かつ、厚生省令で定める期間、これを保存するものとする。

六条 都道府県知事は、第四条の規定による健康診断の結果必要があると認めるときは、当該健康診断を受けた者に対して必要な指導を行うものとする。

七条1 厚生大臣は、原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し、又は疾病にかかり、現に医療を要する状態にある被爆者に対し、必要な医療の給付を行う。ただし、当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは、その者の治ゆ能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。

2 医療の給付の範囲は、次のとおりとする。

(一) 診察

(二) 薬剤又は治療材料の支給

(三) 医学的処置、手術及びその他の治療並びに施術

(四) 病院又は診療所への収容

(五) 看護

(六) 移送

3 医療の給付は、厚生大臣が第九条第一項の規定により指定する医療機関(以下「指定医療機関」という。)に委託して行うものとする。

八条1 前条第一項の規定により医療の給付を受けようとする者は、あらかじめ、当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けなければならない。

2 厚生大臣は、前項の認定を行うに当っては、原子爆弾被爆者医療審議会の意見を聞かなければならない。ただし、当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときは、この限りでない。

一五条1 厚生大臣の諮問に応じ、被爆者の医療等に関する重要事項を調査審議させるため、厚生省に、附属機関として、原子爆弾被爆者医療審議会(以下「審議会」という。)を置く。

2 審議会は、被爆者の医療等に関する事項につき、関係各大臣に意見を具申することができる。

一六条1 審議会は、委員二〇人以内で組織する。

2 委員は、学識経験のある者及び関係行政機関の職員のうちから厚生大臣が任命する。

3 学識経験のある者のうちから任命された委員の任期は、二年とする。ただし、補欠の委員の任期は、前任者の残任期間とする。

4 委員は、非常勤とする。

二  また、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(原爆被爆者特別措置法)(昭和四三年法律第五三号)(原爆医療法と同様平成六年一二月一六日に廃止)は、一条において「この法律は、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者であって、原子爆弾の傷害作用の影響を受け、今なお特別の状態にあるものに対し、特別手当の支給等の措置を講ずることにより、その福祉を図ることを目的とする。」と定めたほか、二条以下で特別手当、健康管理手当、医療手当、介護手当について以下のとおり規定(その後の改正分を含まない。)を置いた。

二条1 都道府県知事は、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和三二年法律第四一号。以下「原子爆弾被爆者医療法」という。)第八条第一項の認定を受けた者であって、同項の認定に係る負傷又は疾病の状態にあるものに対し、特別手当を支給する。

2 前項に規定する者は、特別手当の支給を受けようとするときは、同項に規定する要件に該当することについて、都道府県知事の認定を受けなければならない。

3 特別手当は、月を単位として支給するものとし、その額は、一月につき、一万円とする。

4 特別手当の支給は、第二項の認定を受けた者が同項の認定の申請をした日の属する月の翌月から始め、第一項に規定する要件に該当しなくなった日の属する月で終わる。

五条1 都道府県知事は、原子爆弾被爆者医療法第一四条の二第一項に規定する特別被爆者(以下単に「特別被爆者」という。)であって、造血機能障害、肝臓機能障害その他厚生省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっているもののうち、次の各号のいずれかに該当するものに対し、健康管理手当を支給する。ただし、その者が特別手当の支給を受けている場合は、この限りでない。

(一)  六五歳以上の者

(二)  厚生省令で定める範囲の身体上の障害がある者

(三)  配偶者のない女子又はこれに準ずるものとして厚生省令で定める女子であって、一八歳未満の子、孫若しくは弟妹又は厚生省令で定める程度の廃疾の状態にある二〇歳未満の子、孫若しくは弟妹を扶養しているもの

2から5 省略

七条 都道府県知事は、原子爆弾被爆者医療法第二条に規定する被爆者であって、同法第七条第一項の規定による医療の給付を受けているものに対しその給付を受けている期間について政令の定めるところにより、医療手当を支給する。

九条1 都道府県知事は、特別被爆者であって、厚生省令で定める範囲の精神上又は身体上の障害(原子爆弾の傷害作用の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)により介護を要する状態にあり、かつ、介護を受けているものに対し、その介護を受けている期間について、政令の定めるところにより、介護手当を支給する。ただし、その者が介護者に対し介護に要する費用を支出しないで介護を受けている期間については、この限りでない。

2 省略

三  さらに、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(原爆被爆者援護法)(平成六年法律第一一七号。平成八年法律第八二号・平成九年法律第一二四号により改正)は、前文において「昭和二〇年八月、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は、幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、たとい一命をとりとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした。このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持及び増進並びに福祉を図るため、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し、医療の給付、医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた。また、我らは、再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の下、世界唯一の原子爆弾の被爆国として、核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を全世界に訴え続けてきた。ここに、被爆後五〇年のときを迎えるに当たり、我らは、核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし、原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、恒久の平和を念願するとともに、国の責任において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため、この法律を制定する。」として、その目的等を明らかにしたうえ、被爆者の定義、被爆者健康手帳、原子爆弾被爆者医療審議会、援護(健康管理、医療、手当等の支給、福祉事業)、調査及び研究、平和を祈念するための事業などの定めを置いた。本件に特に関連のある部分の規定内容は次のとおりである。

一〇条1 厚生大臣は、原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し、又は疾病にかかり、現に医療を要する状態にある被爆者に対し、必要な医療の給付を行う。ただし、当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは、その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。

2 前項に規定する医療の給付の範囲は、次のとおりとする。

(一)  診察

(二)  薬剤又は治療材料の支給

(三)  医学的処置、手術及びその他の治療並びに施術

(四)  居宅における療養上の管理及びその療養に伴う世話その他の看護

(五)  病院又は診療所への入院及びその療養に伴う世話その他の看護

(六)  移送

3 第一項に規定する医療の給付は、厚生大臣が第一二条第一項の規定により指定する医療機関(以下「指定医療機関」という。)に委託して行うものとする。

一一条1 前条第一項に規定する医療の給付を受けようとする者は、あらかじめ、当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けなければならない。

2 厚生大臣は、前項の認定を行うに当たっては、審議会の意見を聴かなければならない。ただし、当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときは、この限りでない。

二四条1 都道府県知事は、第一一条第一項の認定を受けた者であって、当該認定に係る負傷又は疾病の状態にあるものに対し、医療特別手当を支給する。

2 前項に規定する者は、医療特別手当の支給を受けようとするときは、同項に規定する要件に該当することについて、都道府県知事の認定を受けなければならない。

3 医療特別手当は、月を単位として支給するものとし、その額は、一月につき、一三万五四〇〇円とする。

4 医療特別手当の支給は、第二項の認定を受けた者が同項の認定の申請をした日の属する月の翌月から始め、第一項に規定する要件に該当しなくなった日の属する月で終わる。

第六原告の生活歴、被爆、発傷病、病状の推移等

《証拠省略》によれば、以下の各事実が認められる。

一  原告の生い立ち等

原告は、大正一五年九月二三日に京都府亀岡で生まれ、学業を終え京都市内の糸糊加工業者に雇用されて働き、その後徴用され旋盤工をしたりした後、大阪の海員養成所を経て日東汽船に配属されていた間に徴兵検査を受けた。健康であったが、小柄であったため乙種合格となり、身体検査でも異常なく所要の訓練も終え、昭和二〇年四月二二日に二等兵の現役兵として和歌山で船舶工兵第九連隊補充隊に入営し、同年五月六日には通信工手として広島の船舶通信補充隊に分遣され、通信技術の習得のための教育訓練を受けた。

二  被爆時の状況

1  客観的な経過

(一) 原告は昭和二〇年八月六日には広島の船舶通信補充隊における教育訓練を終え、同日午前八時三〇分からの部隊長の最終的な検閲を受けるため広島市皆実町にある通信講堂に集合した。

通信講堂は比治山の麓にあって爆心地から一・八kmの農村地域に所在した長方形状の木造一階建の建物で、その周囲に土塀をはりめぐらせたものであった。屋根には三〇cmか四〇cm四方のガラス窓があった。原告は同僚たちと無線機を机の上において調整等を行って待機していた。

(二) 同日午前八時一五分ころ飛行機の爆音が聞こえ、一部の者が講堂の窓から外を覗いたりしているうちに、空が強く光り、講堂の周囲の壁が崩れ、その直後ドーンという音とともに講堂の屋根が落ちたが、原告ら三名だけが屋根の下敷きになるのを免れた。

原告ら三名が倒壊した柱、梁、壁等を避けて移動し講堂の外に出ると、屋外はカンカン照りの状態で、付近の木造兵舎等はことごとく倒壊していた。しばらくすると周囲が暗くなって、空から黒い灰が降り出し、当時上半身裸であった原告らの身体に付着したりしたが、そのうち黒い灰が少なくなり、黄色のような灰がちらちらし、やがてまた太陽が強く照りつける状態になった。原告らはその後講堂内の者の救助を試みたが、手の施しようがないため、付近の内務班の建物に戻ったが、そこでも生存者が見当たらず、やむなく非常時に集合するようかねて指示されていた比治山に向かった。

原告らは、上半身裸の姿で、比治山上の防空壕付近の広場で、直接的な被害を免れた兵隊らとともに負傷者の救助用テントの設営を行ったり、集まってきた負傷者の火傷に油様の物を刷毛で塗布したり、負傷者をテント下に寝かせるなどした。

原告自身は、顔面の鼻の右側に穴の開いたような怪我をしたのみであったが、みずからが浴びた黒い灰や埃などのほか、負傷者との身体接触による血液や体液によって上半身がいわばぬるぬるの状態であった。

そのような状態で原告らは携帯食の昼食をとったり、比治山から下りて通信隊の建物付近で水を汲んで飲料用等とした後、同日は比治山上で夜を過ごした。

(三) 原告らは翌七日に三〇名程の瀕死者の、火傷で爛れるなどした足、腕等を掴み、引っ張るなどして同人らをトラックに乗せたうえ、比治山から宇品の陸軍船舶練習部に避難し、同所でも負傷者に薬を塗ったり、水を与えたり、汚れた手でにぎり飯を作って負傷者に与える(自らもこれを食べた。)などして食事の介助をしたり、寝る姿勢を変えたり、便の始末をし、その後死亡者を置き場に運ぶなどの作業にも携わった。

同日から同月一三日まで宇品の陸軍船舶練習部で救護活動等を手伝った原告らは、同日に三原の分屯隊に赴き同月一五日の終戦を迎え、尾道の原隊に復帰し、同年九月一一日に帰休除隊となった。

2  直接的な受傷等、その間の健康状態

(一) 原告は、爆弾投下による建物の倒壊時に鼻の右側部分に傷を負ったことを宇品に移ってから気がつき薬を塗ったところ、八月一〇日ころから傷口が塞がり始め、やがて黒い跡が残った程度に回復した。

(二) 同月七日から同年九月一一日ころまでの間、原告は時々身体が熱っぽい感じがする程度で、他には特に身体の異常には気がつかなかった。

三  その後の生活歴等と健康状態

1  原告は昭和二〇年九月一一日ころ京都府亀岡の家に戻ったが、その直後から物を持ち上げるなどの力が出ないことに気がついた。また、しばらくして上下の歯茎からの出血や微熱が現れ、一過性の目眩があり、立ち姿勢時に目の前が暗くなり倒れそうになることがあった。また、帰省後一、二か月ころから脱毛が目立ち始めたほか、山登り時に体がつらく子供にもついていけなかった。

2  このような状態の原告を見て知人が同年一一月に秩父方面の製材所での仕事を見つけてやったが、原告は釘抜きなどの雑用程度の作業をこなすことすらできず、短期間で退職してしまった。

その間、原告は、目眩、しんどさ、歯茎の出血が続いていたが、微熱は収まっていた。

3  原告は昭和二一年二月ころに日東汽船に復職し、復員船に乗船する業務に就いたが、やがて食欲が減退したほか、船内の階段の上り下りが辛く、また船酔いをし、歯茎の出血もあった。同年春ころ仲間から胃か肝臓が悪いのではないかと言われ、名古屋の病院やその後佐世保市内のえきさい会病院で診て貰ったが、特別な異常があるとの診断を受けられなかった。その後も原告はやむなく船員を続け、昭和二四年ころからはタンカーに乗船したが、業務に耐えられないとして昭和二五年四月三日に下船した。

4(一)  原告は退職金を使い果たした後、沖仲士をしたが体力が続かず、やがて昭和二五年五月に窃盗を繰り返すようになり、同年八月ころに有罪(刑の執行猶予付き)判決を受けたが、その後の事犯による刑とともに昭和二六年から昭和三二年一一月ころまで滋賀刑務所で服役した。

原告は同刑務所で受刑中、刺繍工場、営繕での立ち仕事のときには途中の休憩等を求めたりしたが、羽織の組紐工場での座仕事では負担が少なく順調であった。その間に医師の診察を受けたが、特別な診断は得られなかった。

(二) 滋賀刑務所を出所後、原告は沖仲士や土方等の仕事に就いたが、しんどさや歯茎からの出血が続いており、そのころも病院の医師の診察を受けたが、「なまくら」だと言われたに止まった。

(三) 原告は昭和三三年末から京都刑務所で服役し、その間各種の作業に就いたが、出所の四か月前に体力が続かなかったため作業拒否をし、懲罰を受けた。その後、昭和三五年四月ころに出所したが、さらに同年八月から昭和三七年二月まで神戸刑務所で服役した。

神戸刑務所で服役を始めたころ、以前からの体がしんどいことや歯茎からの出血に加えて、背中から肩にかけて荷物を背負っているような感じが出始め、激しい耳鳴り、頭痛、目眩などが発現するようになった。そのため、再三作業拒否に及び、数度にわたって軽屏禁、減食等の懲罰を受けたりした。

(四) 原告は昭和三八年一月にも身柄を拘束され、昭和三九年三月から昭和四六年八月まで岐阜刑務所で服役した。

同刑務所での受刑の当初の三年間は、印刷工場で文選工として作業に就き、適当に休息をとるなどして無難に過ぎたが、その後ハンダ付作業に移ったころから作業の負担を強く感ずるようになり、作業拒否に及んだりした。そのころは、原告は前項の状態のほか、吐き気が強かったり、布団に寝ていても玉砂利の上に寝ているような感じがし、小便中に目眩がして倒れたこともあった。

(五) 原告は、昭和四二年三月、同刑務所内の医療施設の医師に背部痛、疲労感を訴え、広島で被爆した旨をも明らかにしたことから、以後服役中定期的に治療及び血液検査を受けることになったが、血液検査の結果は次のとおりであった。

検査年月日 白血球数 GOT GPT

(1) 昭和四二年三月三一日 二一〇〇 六三 一二五

(2) (1)から(3)の間 二四〇〇~四三〇〇 三〇~一六〇 三四~一九五

(3) 昭和四六年八月 三六〇〇 九五 一三〇

その結果、原告は、昭和四二年四月から白血球、赤血球が増加する薬の投与を受け、肝機能障害に対する点滴治療を受け、病舎に収容された。そのころ被爆者手帳の交付も受けた。

(六) 原告は昭和四六年八月に岐阜刑務所を出所したが、その直後にも駅で目眩のため倒れたことがあり、その後病院で治療を受けつつ生活を続けた。しかし、昭和四七年ころからはひどい腹痛が現れるようになり、同年八月ころには我慢ができず病院で痛止めの注射を打って貰ったことがあった。

原告は同年九月ころに犯罪のため身柄を拘束され、昭和四八年ころから昭和五〇年にかけて神戸刑務所で服役した。服役中比較的身体に負担の少ない作業に携わったが、その間も腹痛、頭痛、耳鳴りがあり、背中から肩にかけて物を負っているような感じが増大し、食欲も減退したままであった。そこで、病舎に収容され、血液検査等を受け、投薬を受けた。出所時ころまでの血液検査の結果は次のとおりであった。

検査年月日 (白血球数) (赤血球数)

(1) 昭和四八年八月二二日 一五〇〇

(2) 昭和四八年九月六日 三一〇〇

(3) 昭和四八年九月一八日 三八〇〇

(4) 昭和四八年一〇月一五日 四七〇〇

(5) 昭和四八年一〇月二三日 四四〇〇

(6) 昭和四八年一一月一六日 四一五〇

(7) 昭和四九年一月二三日 四六〇〇

(8) 昭和四九年四月一六日 四四五〇 三一九万

同月二四日 ヘモグロビンHB 一五・〇

(9) 昭和四九年七月一六日 四〇二五 四七五万

(10) 昭和四九年八月一九日 四二五〇

(11) 昭和五〇年二月一二日 四五五〇 五二七万

その間、原告は大量の鼻血や貧血を見たり、疲労感等から何度か病舎に入ったり、作業拒否を理由に懲罰に付されたこともあった。

(七) 神戸刑務所を出所した原告は、その後も腹痛、高血圧、吐き気、食欲不振等で入院を繰り返し、その間昭和五五年に短期間の服役を済ませた後、昭和五七年に有罪判決を受け、昭和五八年ころまで広島刑務所に収容された。その間、原告は二度にわたって刑務所外の財団法人広島県集団検診協会による血液検査を受ける機会があり、その結果は次のとおりであった。

検査年月日 白血球数 赤血球数 GOT GPT

(1) 昭和五七年七月二九日 五二〇〇 四四三万 三七 四四

(2) 昭和五八年一月二五日 七七〇〇 四八六万

なお、原告は二度の検査時にいずれも精密検査を要するとされた。

(八) 原告は、同刑務所を出所した後寝たきりの時があって、生活保護を申請する気持になったこともあったが、結局生活を維持するためとして犯罪を犯し、昭和五八年八月から昭和五九年六月まで大阪刑務所に収容された。

5  原告は、昭和五九年に大阪市阿倍野区の大阪市民病院で診断を受け、その検査診断結果に基づいて健康管理手当を受けた後、昭和六〇年一月に京都市に移り、同月末ころ中京区の区役所で生活保護の受給手続を行い、そのころから生活保護を受けて現在に至っている。昭和六〇年ころも吐き気、食欲不振、耳鳴り、目眩、荷物を背負っているような感じが続き、頭痛、腹痛が時々見られた。

原告は同年二月、疲労感が酷いことなどから丸太町の病院で血液検査を受けたところ、白血球数が二九〇〇であったので、特別手当の受給を得ようと希望し、同年三月一八日に原爆医療法七条三項所定の指定医療機関である右京病院で受診した。

そのころからの諸検査及び主治医の鈴木憲治医師(以下「鈴木医師」という。)の診断結果の概要は次のとおりであった。

(一) 理学的検査

血圧値は一八〇と九〇mmHg 表在リンパ節を触知せず、肝臓二横指触知し、脾臓触知しなかった。

(二) 臨床病理学的検査

白血球数二六〇〇/立方mm(好中球三七%、リンパ球五五%)と低下、血小板は一三・六万と低下。赤血球数四九一万、血色素一五・g/dl、ヘマトクリット四五%、網状赤血球三%と正常。肝機能検査では、GOT五一、GPT五四、ZTT一四・〇と上昇し、ヘパプラチンテストが五八%と低下。LDH二二六、LAP一五一、ALP七・〇、γGTP三五・〇、総合ビリルビン〇・五五mg/dlであった。生化学検査では、総コレステロールが一二六と低下し、総蛋白が七・六、γグロブリンが二三・二万と上昇していた。HB抗原、HB抗体はいずれも陰性であった。腹部エコー検査では、脾臓腫大が軽度に見られた。

(三) その他の検査

脊髄穿刺による骨髄像では、有核細胞数が六万〇六〇〇立方mmと低下、全体的に低形成像を呈した。M/E比は正常。

(四) 特記事項

昭和四二年白血球数が二一〇〇、昭和四五年一五〇〇/立方mmと低値を繰り返し、全身倦怠感、疲労感、食欲不振等の症状が伴った。

(五) その結果、鈴木医師は原告の既往症として昭和四二年肝機能障害(非A非B型慢性肝炎)、現症として白血球減少症と診断した。

6  原告は昭和六〇年五月一九日に同日付けの被告厚生大臣宛の原爆医療法八条一項による認定申請書を京都府知事に提出し、あわせて関係書類として大西潔作成の証明書、京都府福祉部国保援護課長作成の履歴証明書、鈴木医師作成の意見書及び診断書を提出したほか、同年六月二一日付けの原告作成の事情説明書を追加提出したが、その結果は第二(事案の概要)一3及び4のとおりであった。

7  原告は、右京病院での診察の後において症状の経過観察を受けていたが、その間に受検した血液検査の結果は次のとおりであった。

(一) 検査年月日 昭和六〇年一一月二二日 医療機関 右京病院

白血球数 二九〇〇 赤血球数 五二六万 血色素数 一五・三g/dl

GOT 四九 GPT 三六 ALP 五・七

(二) 検査年月日 昭和六〇年一二月一二日 医療機関 右京病院

白血球数 三八〇〇 赤血球数 五三一万 血色素数 一五・〇g/dl

GOT 六五 GPT 四一 ZTT 一二・八 ALP 九・〇

8  原告はそのうちに顔面の神経麻痺症状の発現を見たので、昭和六一年一月六日に京都第二赤十字病院で受診し、同年二月八日に同病院林英夫医師(以下「林医師」という。)により、既往症として高血圧・肝障害(ともに十数年前より)があり、現症として高血圧(一九四/一〇五)、肝腫大(右悸肋部一―二横指)、左顔面神経麻痺があると診断された。

(一) その間における検査結果は次のとおりである。

(1) 検査年月日 昭和六一年一月六日 医療機関 京都第二赤十字病院

白血球数 四一〇〇 赤血球数 四九四万 血色素数 一四・二g/dl GOT 九七 GPT 九五 LAP 一七七 LDH 三〇九 HBs―AG マイナス ICG排泄試験(一五分値) 一二・一%

(2) 検査年月日 昭和六一年一月一八日 医療機関 京都第二赤十字病院

白血球数 二八〇〇 赤血球数 四八〇万 血色素数 一三・四g/dl GOT 八三 GPT 九五 LAP 一六八 LDH 二六一

(二) 原告は昭和六〇年一二月一八日に本件処分通知書を受領し、昭和六一年二月一四日に本件処分に対する異議申立てをし、被告厚生大臣からの補正命令に応じた昭和六一年四月五日付けの書面に林医師作成の意見書、検査結果書等を添付した。

(三) 原告はその後もほぼ現在に至るまで血液検査等を受けてきており、その結果は次のとおりである。

(1) 検査年月日 昭和六一年一二月三日 医療機関 中京保健所

赤血球数 三五二万 白血球数 三三〇〇 赤血球沈降速度 四mm 血色素量 一五・五g/dl 色素係数 〇・九八

(2) 検査年月日 昭和六二年七月二九日 医療機関 中京保健所

赤血球数 三〇五万 白血球数 二九〇〇 赤血球沈降速度 四mm 血色素量一七・二% 色素係数 一・〇八

(3) 検査年月日 昭和六二年一一月一三日 医療機関 京都第二赤十字病院

GOT 六三 GPT 七二 ZTT 一八・一

異常を認めた診断名 高血圧症 慢性肝炎

(4) 検査年月日 昭和六三年七月二七日 医療機関 中京保健所

赤血球数 三五五万 白血球数 三八〇〇 赤血球沈降速度 三mm 血色素量 一五・一% 色素係数 〇・九五

(5) 検査年月日 昭和六三年一〇月一九日 医療機関 京都第二赤十字病院

異常を認めた診断名 肝硬変症 高血圧症 糖代謝障害

(6) 検査年月日 昭和六三年一一月一六日 医療機関 中京保健所

赤血球数 二九八万 白血球数 五三〇〇 赤血球沈降速度 四mm 血色素量 一五・〇% 色素係数 〇・九四

(7) 検査年月日 平成元年九月一三日医療機関 中京保健所

赤血球数 四四二万 白血球数 三四〇〇 赤血球沈降速度 六mm 血色素量 一四・九g/dl 色素係数 〇・九四

(8) 検査年月日 平成元年九月二〇日 医療機関 京都府立医科大学付属病院(以下「府立医大病院」という。)

DMの検査

(9) 検査年月日 平成二年一一月五日 医療機関 府立医大病院

赤血球数 五〇二万 白血球数 三六〇〇 赤血球沈降速度 三mm 血色素量 四六・一% 色素係数 一五・四 GOT 四九 GPT 五五 ALP 一五八

異常を認めた診断名 肝硬変・高血圧

(10) 検査年月日 平成三年六月一一日 医療機関 府立医大病院

赤血球数 四七八万 白血球数 三七〇〇 血色素量 四四・〇% 色素係数 一四・五 GOT 四八 GPT 五六 ALP 一三九

異常を認めた診断名 肝硬変・高血圧

(11) 検査年月日 平成三年一〇月二九日 医療機関 府立医大病院

赤血球数 四八一万 白血球数 四三〇〇 血色素量 四四・八% 色素係数 一四・七 GOT 九九 GPT 一二九 ALP 一六五

異常を認めた診断名 肝硬変・高血圧

(12) 検査年月日 平成四年六月二九日 医療機関 府立医大病院

赤血球数 四九三万 白血球数 四四〇〇 赤血球沈降速度 四mm 血色素量 四四・三% 色素係数 一四・五 GOT 八〇 GPT 一〇八 ALP 一五〇

異常を認めた診断名 肝硬変・高血圧

(13) 検査年月日 平成四年一一月一六日 医療機関 府立医大病院

赤血球数 四九二万 白血球数 三九〇〇 血色素量 四五・〇% 色素係数 一五・一 GOT 一〇二 GPT 一一三 ALP 一七〇

異常を認めた診断名 肝硬変・高血圧

(14) 検査年月日 平成五年六月二八日 医療機関 府立医大病院

赤血球数 四九三万 白血球数 三四〇〇 血色素量 四四・五% 色素係数 一四・六 GOT 七七 GPT 六四 ALP 二〇三

異常を認めた診断名 肝硬変・高血圧

(15) 検査年月日 平成五年一一月一五日 医療機関 府立医大病院

赤血球数 四七七万 白血球数 三四〇〇 赤血球沈降速度 七mm 血色素量 一四・五% GOT 六三 GPT 五八 ZTT 一六・五 ALP 一六五

異常を認めた診断名 肝機能障害

(16) 検査年月日 平成六年六月二七日 医療機関 府立医大病院

赤血球数 五〇一万 白血球数 四三〇〇 赤血球沈降速度 一〇mm 血色素量 一五・一% GOT 八二 GPT 九九 ALP 一六八

異常を認めた診断名 肝機能障害

(17) 検査年月日 平成六年九月一日 医療機関 府立医大病院

赤血球数 五〇八万 白血球数 二七〇〇 血色素量 一五・二g/dl GOT 六八 GPT 六七 ALP 一四一

異常を認めた診断名 肝機能異常

(18) 検査年月日 平成六年一一月二八日 医療機関 府立医大病院

赤血球数 四九三万 白血球数 四〇〇〇 赤血球沈降速度 八mm 血色素量 一五・〇g/dl GOT 四二 GPT 三六 ALP 一七一

異常を認めた診断名 肝機能異常

(19) 検査年月日 平成七年七月一〇日 医療機関 府立医大病院

赤血球数 四九八万 白血球数 三一〇〇 赤血球沈降速度 五mm 血色素量 一四・八g/dl GOT 四〇 GPT 三三 ALP 一五九

異常を認めた診断名 肝機能異常

(20) 検査年月日 平成七年一一月二七日 医療機関 府立医大病院

赤血球数 五一九万 白血球数 三二〇〇 赤血球沈降速度 四mm 血色素量 一五・九% GOT 九四 GPT 九八 ALP 一八〇

異常を認めた診断名 肝機能異常

(21) 検査年月日 平成八年五月二三日 医療機関 京都市立病院

赤血球数 四八七万 白血球数 二七〇〇 血色素量 一五・〇八% GOT 八七 GPT 六四 ZTT 二三・二 ALP 二七八

異常を認めた診断名 C型慢性肝炎

(22) 検査年月日 平成八年一〇月三一日 医療機関 京都市立病院

赤血球数 四七四万 白血球数 三一〇〇 ヘマトクリット四五・六% ヘモグロビン 一五・五g/dl GOT 八五 GPT 九一 ZTT 二一・九 ALP 三六九

異常を認めた診断名 慢性肝炎

(23) 検査年月日 平成九年二月二〇日 医療機関 京都市立病院

赤血球数 四五三万 白血球数 二三〇〇 ヘマトクリット四三・〇% ヘモグロビン 一四・四g/dl GOT 一〇九 GPT 八七 ZTT 一八・六 ALP 四六一

異常を認めた診断名 慢性肝炎

(24) 検査年月日 平成九年三月二七日 医療機関 京都市立病院

赤血球数 四五一万 白血球数 二六〇〇 ヘマトクリット四二・九% ヘモグロビン 一四・一g/dl GOT 八九 GPT 七七 ZTT 一九・〇 ALP 三八五

異常を認めた診断名 慢性肝炎(C型)

(25) 検査年月日 平成九年六月一二日 医療機関 京都市立病院

赤血球数 四六九万 白血球数 二八〇〇 ヘマトクリット四三・八% ヘモグロビン 一四・六g/dl GOT 一一八 GPT 一一五 ZTT 二一・三 ALP 四六八

異常を認めた診断名 慢性肝炎(C型)

(26) 検査年月日 平成九年九月四日 医療機関 京都市立病院

赤血球数 四八七万 白血球数 二三〇〇 ヘマトクリット四五・九% ヘモグロビン 一五・一g/dl GOT 七〇 GPT 六〇 ZTT 二〇・五 ALP 三四一

異常を認めた診断名 慢性肝炎(C型)

(27) 検査年月日 平成九年一〇月二日 医療機関 京都市立病院

赤血球数 四五〇万 白血球数 二七〇〇 ヘマトクリット四二・二% ヘモグロビン 一四・〇g/dl GOT 五四GPT 四七 ZTT 九・一 ALP 一九・六

異常を認めた診断名 慢性肝炎(C型)

(四) 原告は平成九年七月三〇日に京都民医連中央病院で骨髄の採取措置を受け、その病理学的診断を求めたところ、これが細胞密度の低い、低形成骨髄であるとの診断があった。

9  原告は昭和六〇年ころから平成三年ころまでもそれまでと同じように疲労感、倦怠感、食欲不振が続いたが、自覚的には平成三年ころからこれらが一層激しいものとなり、また、肩から背中にかけての物を負うような感覚がなお続き、ときには就寝中も玉砂利の上に寝ているような感覚が存続した。

特に、平成四年夏には食欲不振、疲労感等が強く、一か月半程の間、自宅でほとんど寝たきりの状態になり、流動食等を知人に届けてもらって凌いだこともあった。

10  平成六年一月から二月(第一回の本人尋問当時)ころ、原告はほぼ午前八時ころに起床し、午後八時ころに睡眠剤を服用して就寝する毎日を続けており、裁判や病院での用件のない場合はおおむね午前中は横になって休養をとり、体調が許すようなときには午後に食物等の買い物に出掛けたりした。夜間は用を足す時に目眩を起こすおそれがあったので、尿瓶を用意していた。食事は体調が十分でないときはとらないで一日寝たままのときもあり、炭酸飲料と流動物のような食物で済ませることもあった。このような状態が二日以上続くと、病院で点滴を受けることもあった。

家事のなかでは、掃除が一番辛い作業で、例えば掃除機をかけると一〇分程で腰が痛み、作業を中止せざるをえない状態になった。

四  現在の状況

原告は、平成九年当初においても、健康状態、生活状況は前記三、10とほとんど変化がなく、特別のことがない限り四週間に一度京都市立病院に通院し、血圧測定、血液検査等を受け、投薬を受けている。同病院の診断では原告は脾機能亢進症にはなっていない。

五  原告の嗜好、薬物経験、既往症等

1  原告は被爆前にはほとんど酒を飲まず、その後船員等として社会生活をしていた間にも、ビールを少し飲む程度であった。

2  原告は幼年時から青年時にかけては健康体であって、医療用等の薬剤を用いたことがほとんどなかったし、被爆後もこれまでの諸症状の原因が自覚的には昭和四二年まで不明であったことから、これに対する薬剤の投与を受けたことも、売薬を入手したこともなかった。

昭和四二年に白血球、赤血球の増加剤の投与を受け、特に昭和四八年には約四〇日間にわたって白血球減少に対応した治療として注射を受けたことがあり、またこれまでに肝臓障害に対し点滴を受けたことがあった。

3  原告はこれまでに結核、チフス、赤痢、肺血腫にかかったことがなく、ウイルス感染をした自覚もなく現在に至っている。風邪に感染したことはあるが、特に白血球の顕著な減少が見られた時期に風邪をひいていたことはなかった。

また、原告はこれまで急性白血病、再生不良性貧血にもかかったことはなく、家族等に白血球減少症になった者はいない。

以上の事実が認められる。

第七原爆医療法八条一項の「起因性」の立証責任の所在等

一  原爆医療法の特殊性等

1  広島及び長崎における原爆の投下は空前のものであり、絶後のものでなければならない。原爆の投下により瞬時に多数の生命が奪われ、多数者に死亡にも比すべき傷害をもたらし、その苦しみが今日なお継続している。原爆投下後一〇年余が経過した昭和三二年に原爆医療法が一条にその目的を前記のとおり掲げて制定された。原爆医療法は、「原子爆弾の被爆による健康上の障害がかつて例をみない特異かつ深刻なものであることと並んで、かかる障害が遡れば戦争という国の行為によってもたらされたものであり、しかも、被爆者が今なお生活上一般の戦争被害者よりも不安定な状態に置かれている」という「特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかる一面を有するものであり、その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にある」(最高裁判所昭和五三年三月三〇日判決)ものであった。

2  国は、昭和三二年四月二五日に内閣において原爆医療法施行令を施行し、同年四月三〇日に厚生省において原爆医療法施行規則を施行し、厚生省公衆衛生局長において、昭和三二年五月一四日に「原爆医療法に関する診療方針について」との通知を発した後、昭和三三年八月一三日に同通知を廃止したうえ、「原子爆弾後障害症治療指針について」との通知(甲二〇)(以下「治療指針」という。)及び「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」との通知(甲二一)(以下「実施要領」という。)を都道府県各知事、広島市長及び長崎市長に宛て発した。

3  厚生省公衆衛生局長は「実施要領」において、「昭和二〇年広島及び長崎の両市に投下された原爆は、もとより、世界最初の例であり、従って核爆発の結果生じた放射能の人体に及ぼす影響に関しても基礎的研究に乏しく明らかでない点が極めて多い。しかしながら、被爆者のうちには、原爆による熱線又は爆風により熱傷又は外傷を受けた者及び放射能の影響により急性又は亜急性の造血機能障害等を出現した者の外に、被爆後一〇年以上を経過した今日、いまだに原爆後障害症というべき症状を呈する者がある状態である。特に、この種疾病には被爆時の影響が慢性化して引き続き身体に異常を認めるものと、一見良好な健康状態にあるかにみえながら、被爆による影響が潜在し、突然造血機能障害等の疾病を出現するものとがあり、被爆者の一部には絶えず疾病発生の不安におびえるものもみられる。従って、被爆者について適正な健康診断を行うことによりその不安を一掃する一方、障害を有するものについてはすみやかに適当な治療を行い、その健康回復につとめることがきわめて必要であることは論をまたない。しかしながら、いうまでもなく放射能による障害の有無を決定することは、はなはだ困難であるため、ただ単に医学的検査の結果のみならず、被爆距離、被爆当時の状況、被爆後の行動等をできるだけ精細には握して、当時受けた放射能の多寡を推定するとともに、被爆後における急性症状の有無及びその程度等から間接的に当該疾病又は症状が原爆に基づくか否かを決定せざるを得ない場合が少なくない。」ことを明らかにしたうえ、「被爆距離」について「被爆した場所の爆心地からの距離が二キロメートル以内のときは高度の、二キロメートルから四キロメートルのときは中等度の、四キロメートル以上のときは軽度の放射能の影響を受けたと考えてさしつかえない。」とし、「被爆後の行動」について「原爆後障害症に影響したと思われる放射能の作用は、主として体外照射であるが、これ以外に、じんあい、食品、飲料水等を通じて放射能物質が体内に入った場合のいわゆる体内照射が問題となり得る。従って、被爆後も比較的爆心地の近くにとどまっていたか、直ちに他に移動したか等、被爆後の行動及びその期間が照射量を推定するうえに参考となる場合が多い。」とし、「被爆後における健康状況」について「前述の被爆者の受けたと思われる放射能の量に加えて、被爆後数日ないし、数週に現れた被爆者の健康状態の異常が、被爆者の身体に対する放射能の影響の程度を想像させる場合が多い。」とし、「臨床医学的探索」について「原爆後障害症として最も発現率の高い造血機能障害の検査に主体をおくほか、肝機能検査、内分泌機能検査等をもあわせて行う必要がある場合がある。また、異常については、この異常が放射能以外の原因に基づくものであるか否かについては、詳細に検討を加えたうえ、一応考えられる他の原因を除外した後にはじめて放射能に基づくものと認めるべきであり、従って、この鑑別診断を行うにあたっては、尿検査、糞便検査、X線検査その他必要のある検査はもちろん十分に行わなければならない。」とした。また、同局長は「治療指針」の「原爆後障害症の特徴」「治療上の一般的注意」「被爆距離」において「実施要領」における見解と同旨の内容を述べたうえ、肝機能障害に関し後記第八、二2(二)(2)のとおり、白血球減少症に関し同第八、二3(二)(2)のとおりの知見を明らかにした。

二  当裁判所の見解

1  以上のような原爆の投下による被爆自体、被爆による被害等の特殊性(一回性)、国家補償法的配慮を根底とする原爆医療法の性格、立法当時における医学等の水準及びこれについての国(内閣・厚生省)の認識等にかんがみると、原爆医療法八条一項の「当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の認定」を受けようとする被爆者は、被爆した事実を明らかにする事実説明書等、被爆時受傷から申請時に至る間の発傷病の推移等を明らかにする諸検査結果、診断結果資料のほか、申請当時公刊された学術研究書等、一般人が利用可能な医学、化学、物理学等の科学関係資料や医師らの鑑定的意見書等によって、申請者の負傷又は罹患した疾病は原爆の放射線を原因とする可能性が原爆の放射線以外のものを原因とする可能性より相対的に高いことを証明すれば足り、その場合には厚生大臣は同法八条一項の認定をしなければならないものと考えるのが正当である。そして、厚生大臣において、申請に対する処分を行う当時、特別に利用可能な資料等に基づいて申請者において相対的に放射線によるものとした申請にかかる負傷又は疾病が放射線によるものではなく、原因が他にあると確定判断できる場合には、その旨及び内容を明示して原爆医療法八条一項の認定申請を却下することができるものと考えるべきである。

2  被告らは、幾つかの根拠を挙げて、原爆医療法七条一項等の「起因性」は事実的因果関係の問題であり、同条項等の定める認定要件に該当することを主張する者に立証責任があり、その立証の程度は「高度な蓋然性の程度」までの証明が必要であると主張するので、以下、これに関連して当裁判所の見解を敷衍することとする。

(一) 被告らが主張(別紙(三)被告らの主張の詳細第一、一3)するとおり、原爆医療法七条、八条の規定に証明責任を転換したり、証明の程度を軽減する文言はないが、この点は、前項で述べた諸点を根拠として前項のように法解釈することの妨げとなるとは考えられない。被告らは、原爆被爆者特別措置法五条、八条、九条の二等における「原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。」等の文言があることを理由に、原爆医療法が同法七条一項等の要件について証明の程度を軽減させたりする趣旨ではないことは文理上明らかであるとも主張するが、原爆被爆者特別措置法が原爆医療法とともにいわゆる原爆二法と呼ばれるものではあっても、原爆医療法制定の一一年後に制定された別個の法律であり、当然に原爆医療法の内容となるものではないから、別紙(三)被告らの主張の詳細第一、一4で主張する点を含め、被告らの主張するように文理解釈しなければならないものではない。そのうえ、当裁判所の考えによっても、申請者にその負傷又は罹患した疾病は放射線を原因とするものである可能性が放射線以外のものを原因とする可能性より相対的に高いことを立証することを求めるのであるから、被告らの主張するようにいわゆる原爆二法が立証の程度に対応して給付の内容を定めたものと理解しても、法の構造に反するとする被告らの非難は当たらない。

(二) また、原爆被爆による破壊の程度、その後の時間の経過による資料の散逸、証明対象に関連する事項の複雑多様性、科学知見の状況等からして、申請者の負傷又は疾病が原爆の放射線を原因とする可能性が相対的に高いとの立証も、現実問題としては大きな困難が伴うことは本件訴訟経過等に照らしても明らかであり、この程度にまで立証の負担を軽減したからといって、実質的に被告らに原爆の放射線によるとの起因可能性が皆無であるとの立証を要求するものに等しいとする被告らの主張には左袒することはできない。

(三) 被告らは、厚生省公衆衛生局長の「治療指針」及び「実施要領」中の「被爆距離」についての記載(前記第七、一3で認定したもの)は、本件処分を拘束するものではないし、これらは、いまだ正確な被曝線量の評価方法がなく、しきい値があるという知見が確立しておらず、放射線被曝による障害かその他の原因による障害かを明確に判断することが非常に困難であった時代に、被爆者の健康上の特別の状態にかんがみ、被爆者に対し適正な健康診断を行い、速やかに適当な医療を行うことによりその健康の保持向上を図るとした法の適切な実施を図るために、その時点での知見の限度で考慮すべき事項を示したものである、と主張する。

確かに、厚生省公衆衛生局長の「治療指針」及び「実施要領」が直接的に本件処分の法的な効力を左右するものではないことは明白である。しかし、原爆医療法七条、八条の「起因性」の立証責任の所在及び証明の程度が科学の発達によって変動するものでないことも明らかである。したがって、仮に被告らの主張するように「放射線被曝による障害かその他の原因による障害かを明確に判断することが非常に困難であった時代に」おいて申請者に立証(程度は証明)責任があるとの立場に立つとすると、多くの申請にあっては法の要請する「起因性」の立証がないものとして認定申請を却下するほかなかった筈である。にもかかわらず、「治療指針」及び「実施要領」を作成し周知させ、特に「実施要領」で前記認定のとおり「異常については、この異常が放射能以外の原因に基づくものであるか否かについては、詳細に検討を加えたうえ、一応考えられる他の原因を除外した後にはじめて放射能に基づくものと認めるべきであり」と記述したことからしても、またその後も後記第八、二2(三)で認定するとおり、申請に対する認定処分を行ったことからしても、少なくとも昭和四五年三月当時までは被告厚生大臣自身が当裁判所と同内容の見解を採用していたものと認めるほかないのである。

(四) なお、被告らは、被告厚生大臣が本件処分において「申請に係る申請人の疾病は、原爆放射線に起因する可能性は否定できる」としたのは、その当時の行政庁の判断にすぎないと主張するが、本件処分時の審査の実情、審査資料等(後に認定する。)からしても、文言上も、被告厚生大臣が所持する資料によって原告の本件疾病が原爆の放射線に起因するものであることを否定することができる旨を言明したものとするのが素直な理解であり、その基礎にある考え方は、どちらかといえば、当裁判所の考えに近いものといえよう。

第八原告の発傷病等と放射線又はそれ以外の要因の影響について

一  広島原爆の物理的破壊力

《証拠省略》によれば、放射線被曝者医療国際協力推進協議会編の「原爆放射線の人体影響一九九二」(以下「人体影響一九九二」という。)(三頁以下)に、昭和二〇年八月六日午前八時一五分に投下された原爆が原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)に近い島病院の上空五八〇メートル点で爆発した旨、またエネルギーの項目のもとに、広島原爆はウラニウム二三五が使われており、TNT火薬一五ktに相当した。原爆の特徴は通常の爆弾と異なり、爆風のほかに強烈な熱線と放射線を伴うことであり、そのエネルギー分布は爆風五〇%、熱線三五%、放射線一五%といわれている旨の記述があり、続いて爆風の項目のもとに別紙(二)の原告主張第一、二2(一)のとおりの、また熱線の項目のもとに同主張第一、二2(二)を含む、さらに放射線の項目のもとに同主張第一、二2(三)(四)を含む、各記述があることが認められる。

二  医学上の知見

1  原爆放射線の人体に対する影響について

広島原爆の人体に対する影響全般

(1) 《証拠省略》によれば、「人体影響一九九二」(九頁以下)に、昭和二〇年八月六日から同年一二月末までの症状を指す急性症状の項目のもとに、即死を免れたものの、体表面積二〇%以上に高度の熱傷を受けた者、あるいは高度の外傷を受けた者は、直後から数時間の間に発熱、口渇、嘔吐を訴え、ショック症状に陥って、ほとんどが第一週の終わりまでに死亡した。熱傷や外傷が軽度であっても、高度の放射線を受けた者の多くは、ただちに全身の不快な脱力感、吐き気、嘔吐などの症状が現れ、二、三日から数日の間に発熱、下痢、喀血、吐血、下血、血尿を起こし、全身が衰弱して被爆から一〇日前後までに死亡していった。この時期の死亡者の病理学的な所見として、放射線による骨髄、リンパ節脾臓などの造血組織の破壊及び腸の上皮細胞、生殖器や内分泌腺細胞における腫脹と変性などがみられた。また、熱傷や外傷に起因すると考えられる心臓右心室の拡張、肝臓の急性うっ血、肺気腫、肺水腫などの特徴も認められているとの記述があること、これに続いて亜急性症状の項目のもとに、別紙(二)の原告主張第一、二3(二)(三)を含む、後障害の項目のもとに、同主張第一、二3(四)を含む各記述があることが認められる。

(2) 《証拠省略》によれば、昭和六〇年に社団法人日本原水爆被害者団体協議会が一万三一六九名の被爆者(広島及び長崎)からの回答を集計分析した結果、二km以内での被爆者の四八・二%の者に脱毛があったこと、二km以遠の被爆者の二八・六%の者に脱毛があったこと、紫斑も二km以内の者の二五・二%、二km以遠の者の一四・三%に見られたこと、また二km以内での被爆者については、六二・八%が風邪を引きやすい、八六・四%が疲れ易い、六二%が無理ができない、五六・三%がとてもだるいなどのことを訴えたことが認められる。

2  放射線と肝機能障害との関連

(一) 肝機能障害に関する一般的な学術研究上の知見

(1) 弁論の全趣旨によれば、肝機能障害の原因として、アルコール、ウイルス、細菌、肥満、薬剤、腫瘍、放射線の被曝等が挙げられるのが一般であることが認められる。

(2) 《証拠省略》によれば、肝硬変とは線維増生と正常な肝小葉構造が破壊され、形態学的に異常な結節を形成する慢性病変である。慢性肝炎と形態学的にも区別されるべき病変ではあるが、慢性肝炎と肝硬変はオーバーラップする部分もみられる。欧米では慢性肝炎と肝硬変とは同一の疾患範疇にあるものと理解されており、……。しかし、肝硬変はすべての肝疾患の終末像であり、さらに肝細胞癌の発生母体となることを考えると、肝硬変が存在するか否かを決定することは疾患の予後を考える上できわめて重要である。しかし、小さな針生検組織で肝硬変の診断をすることは必ずしも容易なことではなく、臨床的には明らかに肝硬変の症例でも針生検で肝硬変と診断されないこともある。……自覚症状から慢性肝炎、活動性と非活動性を区別することは困難である。慢性肝炎の多くは長期間にわたって慢性肝炎のまま推移し、肝硬変に移行するのは一〇%であり、その多くは慢性肝炎、活動性である。他覚症状では……、肝腫大は慢性肝炎、活動性で七六・七%、肝硬変で九三・二%に認められている。脾腫は慢性肝炎、活動性で三・三%、肝硬変で五六・八%に認められ、この差は推計学的に有意であった。すなわち、慢性肝炎の経過観察中に脾腫を認めれば、肝硬変への移行が強く疑われる所見であるとの知見があることが認められる。

《証拠省略》によれば、肝硬変の病像として、一般(血液)検査では通常正赤血球性、正色素性の軽度の貧血をともない、時には大赤血球性貧血を示すことがある。巨大脾腫をともなう場合には汎血球減少をきたし、骨髄所見では有核細胞数の増加と成熟抑制を認め、脾機能亢進を示すとの知見があることが認められる。

《証拠省略》によれば、一般にウイルス性の肝障害では白血球は減少するが、劇症肝炎では増加する。アルコール性肝炎で白血球数は九〇〇〇から一三〇〇〇〇にも増加し、白血球数は肝炎の重症度と平行する。白血球数の八〇%以上を好中球が占め、断酒により比較的急速に白血球数が減少するのが特徴であるとの知見があることが認められる。

(3) 《証拠省略》によれば、肝は造血にとって重要な臓器の一つであり、胎生の一時期には腫瘍造血部位になり、生後にも髄外造血の形成が認められたり、白血病あるいは類縁疾患で腫瘍細胞浸潤の著名な臓器の一つである。……したがって、肝の病変に際し、血液系に種々の病変を認めるのはむしろ当然のことといわねばならない。肝疾患のうちで貧血を高率に伴うのは慢性肝機能不全、とくに慢性肝炎あるいは肝硬変症である。……白血球像は著変をみないか、減少傾向を示し、とくに脾腫を伴う場合には血小板数減少とともに白血球数は明らかに減少する。……骨髄では細胞数が増加するものが多く、赤芽球比率は上昇傾向を示すとの知見があることが認められる。

(二) 放射線と肝機能障害に関する学術研究上の知見

(1) 《証拠省略》によれば、「人体影響一九九二」に、電離放射線によって急性の肝細胞障害が誘発されることは一九二四年に報告され、肝臓は比較的放射線に感受性の低い臓器で四〇ないし五〇グレイ以上の照射によって初めて肝壊死をもたらされると考えられていた。しかし、その後……肝臓はより低線量の電離放射線で障害されて肝腫大、腹水、黄疸等の症状を示し、アルカリフォスファターゼ値の上昇や血小板減少を伴いやすいこと、病理的変化としてうっ血や出血、さらに中心肝静脈の拡張を伴う進行性の肝細胞萎縮などの所見を認めることが報告された(一八〇頁)旨、「急性期」の項で、広島原爆では被曝直後にはなんらかの肝障害が被爆者のなかに見られたが、被爆後一〇週間の後には大部分正常に戻ったとか、肝機能障害は被爆後六か月までに多く見られ、一年後にはその機能が回復している(一八〇頁)旨、「一九五〇年から一九六〇年代」の項で、肝機能障害の比率は被爆者・非被爆者に差がなく、原爆に起因すると思われる肝機能障害は認めないと報告している(一九五九)。……原爆病院入院患者では肝疾患は第二位の頻度を占め、……。一九六二年に広島市の原爆医療認定申請書を用いた統計調査でも、被爆者の肝疾患の頻度は国民健康調査と比べて三倍近く高率であり、近距離被爆者でとくに高い傾向を認めた(一八一頁)旨、「一九七〇年代以降」の項で、原爆病院患者によるいろいろな角度からの臨床的検討を行っているが、外来患者の肝疾患有病率は二・〇km未満の近距離被爆者で高率に見られた。原爆被爆者健康管理所の検診データで原爆被爆者に肝疾患が高率に見られ、一見被爆による直接障害を思わせる成績を一部に得たが、被爆者における肝疾患は複雑な病態を包含しているので、被爆による一時的な肝障害の慢性期像と考えるのは困難であると結論づけている。……最近、放射線影響研究所の長期追跡固定集団における疫学的調査研究の結果がまとめられてきている。寿命調査集団での一九五〇年から一九八五年の非腫瘍性疾患の死亡調査では消化器疾患、なかでも肝硬変による死亡は放射線量により明らかな増加を認め、……。成人健康調査集団における発生率の解析でも、慢性肝炎または肝硬変の発生と放射線被曝の関連を示唆する所見が得られてきている(一八二頁)旨の各記載があることが認められる。

(2) 《証拠省略》によれば、「治療指針」において、原子爆弾被爆者医療審議会の意見を聞いた上として、放射能が肝機能に及ぼす影響についてはいまだ明瞭でない点が多いが、原爆後障害症として肝機能障害を生ずることがあると一般に考えられている旨の記載があることが認められる。

(3) 《証拠省略》によれば、「成人健康調査第七報 原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率 一九五八―一九八六年」において次の記述があることが認められる。すなわち、「慢性肝疾患および肝硬変について大きくはないが有意な放射線影響がAHS(成人健康調査)集団で初めて観察された。相対リスクには、性、市、被爆時年齢による差は見られなかった。加えて、相対リスクは観察期間中一定であったと思われる。肝臓が放射線に敏感であるかどうかについては議論がある。ABCC(原爆傷害調査委員会)―放影研(財団法人放射線影響研究所。同前)では以前行われた肝疾患の病理学的調査では、肝硬変についてのみ放射線影響を報告している。LSS(寿命調査)および病理調査に関するこれまでの報告から得た原発性肝癌に関する証拠には疑問がある。しかし、最近のLSS報告によれば肝癌発生率には線量反応が認められる。LSSにおける癌以外の死亡率に関する最近の調査では、肝硬変による死亡率は高線量群では増加していることを示しており、これは発生率における我々の所見と一致するものである。……最新の証拠は、現在得ている結果を被爆の直接の影響によって説明できるかもしれないことを示唆している。日本では、ウイルス感染とアルコールの過剰摂取が慢性肝炎と肝硬変の主要原因として加えられている。これらの要因を調べることにより肝疾患の病因における放射線の役割を明らかにしていく上で役立つ情報を得ることができるかもしれない。AHS集団におけるB型肝炎(HB)抗原と抗体の定量的調査は、抗原の正の度合が重症被爆者では有意に増加していることを示しており、これは免疫能力の低下がウイルス感染の原因でありえることを示唆している。」

(4) 《証拠省略》によれば、「電離放射線の非確率的影響 国際放射線防護委員会専門委員会1の課題グループの報告書 一九八四年五月に主委員会によって採択されたもの」(二五頁以下)に、ヒトの消化管系の実質性臓器のうち、肝は傷害に対し最も低いしきい値を持っていると思われる。もし、肝全体が通常の分割治療(照射)でX線を三〇グレイ(三〇〇〇ラド)受ければその機能障害が起こる……。肝の一部だけが照射された場合には、もっと高い線量に耐えることができるとの記載があることが認められ、《証拠省略》によれば、同時期の同専門委員会の報告書(四五頁)には、放射線肝炎の発生率は通常分割で累積線量が三五グレイを超えると著明に増加し、全肝照射に関する成人の安全線量は一回当たり三グレイでは、一・五ないし二週間にわたり二一グレイないし二四グレイ程度、一回当たり一・五ないし一・八グレイでは、三・五ないし四週間にわたり三〇グレイ程度であるとの記載があることが認められ、《証拠省略》によれば、肝臓について実証しうる永続的な肝障害が起こるには、一回で一〇グレイ(一〇〇〇ラド)以上の線量が必要であるとの記載があることが認められる。

(三) 原爆放射線と肝臓障害に関する統計上の知見

《証拠省略》によれば、昭和四三年五月から昭和四五年三月までの一年一一か月の間に慢性肝障害で原爆医療法上の医療認定を申請した七八名について次のような分析がある。すなわち、被爆距離一・九km以内で認定された者が二一名、二・〇~二・九kmで認定された者が一七名で、その合計数が申請者の八七%を占めること、三日以内の入市者も一五名が認定され、申請者のうち五〇%を超える者が認定されたこと、症状としては、下痢、脱毛、発熱、皮膚粘膜下出血、貧血、熱傷等の急性症状中の二症状以上を認めたものが多いこと、約半数が二横指以上の肝腫大を示したこと、肝機能検査では膠質反応及びGPTあるいはGOTの異常を示すものが大多数を占めたことが認められる。

3  放射線と白血球減少症との関連

(一) 白血球減少症に関する一般的な学術研究上の知見

(1) 白血球の正常値についての医学知見として、《証拠省略》によれば、①自動血球計数器視算法による静脈血で四七〇〇ないし八七〇〇/μl(この項では以下単位の記載を省略する。)、毛細管血で五〇〇〇ないし八五〇〇とするもの、②四三〇〇ないし一〇〇〇〇とするもの、③男子が五三〇〇ないし八三〇〇、女子が四八〇〇ないし七六〇〇とするもの(なお、《証拠省略》によれば、骨髄中に末梢血液の各種血球の前駆細胞が存在し、これらを総称して有核細胞といい、この正常数は一〇万ないし二五万/μlであること、《証拠省略》によれば、日本人の正常骨髄における有核細胞数の平均値は一五万六〇〇〇/μlとされ、その場合のM/E比率(骨髄球系細胞/赤芽球系細胞比率)は二・五六であることが認められる。鈴木憲治証言では、有核細胞数の正常値は一〇万ないし二九万/μlであるとする。)、④成人の場合静脈血で四〇〇〇ないし八五〇〇、耳朶血で六〇〇〇ないし一〇〇〇〇とするもの、四〇〇〇ないし九〇〇〇とするもの、⑤四五〇〇ないし九五〇〇とするもの(甲七一。なお、同号証では白血球数が三五〇〇以下のものを白血球減少症というとしている。)、⑥正常成人では四〇〇〇ないし一〇〇〇〇の範囲にあり、男女差はなく、健康成人の三分の二は五〇〇〇ないし八四〇〇の範囲にあるとするもの、⑦耳朶血が男女とも平均値が六七〇〇(昭和二九年から三二年にかけて男女一万三〇〇〇余人の調査結果)、静脈血が男の平均値が五六〇〇で、女が五三〇〇(同右)とするものがあることが認められる。

(2) 《証拠省略》によれば、平成六年時点までの調査において日本人の白血球数に関する統計数値は以下のとおりであることが認められる。

被調査人員 調査機関等 白血球数平均 白血球数分布(立方mm)

八三六五 小宮悦造 六七〇〇 三二五〇~九二六〇

(昭和二九年当時のもの)

一九一 虎の門病院 五七三三 三三一三~八一五三

八三 京大病院 四五〇〇 三五〇〇~八九〇〇

(ToaMCC)

四五三 東洋工業病院 七五四二 四一二四~一〇七七六

(3) 《証拠省略》によれば、正常の末梢血液塗抹標本に認める白血球の種類は好中球(分葉核球及び桿状核球)、好酸球、好塩基球、単球、及びリンパ球(《証拠省略》によれば、青年期の男子の正常白血球の構成比率の平均値は、好塩基球が全体の〇・六%、好酸球が三・二%、好中球が五二・〇%(桿状核球が一一・六%)、リンパ球が三四・五%、単球が四・八%であることが認められる。)であり、各種の病態においてそれぞれが増減を呈し、場合によっては、生理的には認められない種類の白血球が出現する。白血球増多症は、好中球増多症に基づく場合が最も多く、同様に白血球減少症もやはり好中球減少症によるのが普通であること、好中球減少の原因として、Ⅰ感染症 ウイルス感染症 腸チフス 重篤な感染症 Ⅱ骨髄抑制因子の作用 薬物(抗癌剤、抗甲状腺剤、フエノチアジン誘導体)放射線 Ⅲ血液疾患 再生不良性貧血 巨赤芽球性貧血 アグラヌロチトーゼ 急性白血病 Ⅳ脾機能亢進症 肝硬変症 Felty症候群 その他の脾腫を伴う疾患Ⅴ全身性エリテマトーデス Ⅵ悪液質 Ⅶアナフィラキシー様ショック Ⅷ遺伝性疾患 周期性好中球減少症 原発性脾性好中球減少症 慢性低形成性好中球減少症があるとの知見があることが認められる。

(4) 《証拠省略》によれば、「内科学Ⅲ」(上田英雄らの編集)には、血液疾患の中に脾機能亢進症が分類され、一三一三頁以下に次のとおりの記述があることが認められる。すなわち「脾腫と血球減少症を合併した症候群で、①脾腫、②末梢血検査で一系統ないし、それ以上の系統の血球減少(貧血、白血球減少、血小板減少の種々の合併)、③骨髄での血球産生像は正常ないし亢進、④摘脾による血液像の改善、この四項目が揃ったものを脾機能亢進症という。……骨髄が低形成を示す場合もあり……。脾機能亢進症は原因不明の原発性のものと、何らかの基礎疾患を基盤として生じた続発性のものとに大別される(同所の表の内容全体の記載を省略するが、要約すると、続発性の脾機能亢進症の原因となる疾患をうっ血性脾腫、血液疾患、炎症性疾患、その他に区分し、うっ血性脾腫に肝硬変、慢性肝炎を含ませている。)。脾腫と血球減少症との因果関係について……今日、多くの研究者の支持を得ている説は肥大した脾では赤色髄の増大に伴い、血球捕捉、破壊能力が増し、その結果骨髄での造血は正常ないし亢進しているにもかかわらず、末梢血中では血球が減少するという考えである。……脾腫の証明、一系統以上の血球減少症、正形成ないし過形成の骨髄像がそろえば、診断はほぼ確定的となる。さらに摘脾を行って末梢血像が正常化したら、脾機能亢進症の診断が決まる。」

(二) 放射線と白血球減少症に関する学術研究上の知見

(1) 《証拠省略》によれば、「人体影響一九九二」に、広島における原爆被爆者の白血球の減少動態を文献的に考察すると、一般的に初期にリンパ球が減少し、次いで顆粒球が減少する。その後約一か月を最低値として急速に、又は症例によっては徐々に回復する経過をとった。もちろん回復をみることなく骨髄無形成のまま死亡する例も多い。しかしながら、程度や経過は被曝した放射線量に大きく依存している(一三二頁)旨、「爆発後中心部付近に入った者に関する調査」の項のもとに、陸軍軍医学校の手によりなされており、一名だけが白血球数三二〇〇を示したが他はすべて五〇〇〇以上で異常を示した症例はなかった。そのほか一九五二年(人名省略)ら、一九五三年(同前)ら、一九五四年に(同前)ら、一九五五年に(同前)らによって大竹地区在住の被爆者検診が行われ、白血球造血能の回復の遅いことが示唆されたが、一九五四年から一九五七年の広島原対協での一五五一〇名の検診では白血球数三九九九以下は三・一%であった。したがって、少なくとも一九五七年までには白血球系の造血能は正常に回復していたとみることができる(一三七頁)旨、原爆の投下後訳もわからないままに嘔吐、下血、高熱をきたして死亡していった人々の検査を乏しい検査器具を集めて行い、初期に白血球数が減少していることをつきとめたのは、まさに当時の医学研究者の炯眼というべきであろう。被爆直後の脱力感、全身倦怠、食欲不振、悪心嘔吐、口渇を訴えていたものが数日にして症状が改善し一ないし四週の回復期を経たのち脱毛、皮下出血、白血球減少に基づく感染症など種々雑多な症状を起こして死亡してゆくことは大変奇妙であった。人々をして原爆症と呼ばしめ、恐れられたことは容易に想像できる。実はこの症状の多くは白血球減少によるものであったが、約一〇年後にはこの白血球減少もほとんど消失し、正常造血能を有する状態に回復している(一三八頁)旨の各記述があることが認められる。

(2) 《証拠省略》によれば、「治療指針」において、原爆後障害症のうちで最も変化が著しく、発現率の高いのは造血機能障害である。これには放射能の照射によってひき起こされた障害が遅れて現れる後発症状と傷害の後遺症ともいうべき症状との二種類がある。すなわち、後年における白血病の発生等は前者に属し、また、常に幾分の貧血や白血球減少が認められ、必要な場合に白血球の調節が十分でないというような例は障害を受けた機能の回復が不十分なものであって後者に属する。ただし、実際にはこの両者を厳密に分けることの困難な場合が多く、また一見順調に機能が維持されているかにみえるものでも、将来突然変調をきたす場合もあるので注意する必要がある。原爆後障害症としての造血機能障害が一般の造血機能障害とその発生機序がどのように異なるかについては、必ずしも明瞭でなく、したがってその治療に際しては一応既知の造血機能障害に準じて取り扱うこととなる、などの記載があることが認められる。

(3) 《証拠省略》によれば、「広島医学第一六巻 昭和38年」における「広島・長崎両市の原爆被爆生存者における血液学的所見:一〇年間の観察」との論文に、「広島および長崎における原爆被爆生存者の血液学的状態の調査は、過去一〇年間近く原爆傷害調査委員会(ABCC)の職員によって実施されてきた。原爆投下直後の急性影響が減退した後にこの調査は始められたのであるから、放射線照射に関連する陽性所見は、いずれも遅発性、長期性もしくは慢性的影響といってよいかもしれない。しかしながら、有意な放射線照射は一回限りの瞬時照射の形で行われたものであるから、照射が慢性的に行われたことを意味するものではない。」とし、「白血球減少症」の項において「症例中には外見上他に異常がないのに白血球数が少ないものが多数あったが、その意味を解明しようと一九四七年以来広島ABCCにおいて行われた一五〇〇〇件以上の白血球数算定結果に再検討を加えた(表5及び図1。省略)。平均値は一九四七年の約九〇〇〇から一九五六年の約五五〇〇にまで漸減している。被爆者と対照者の白血球数に有意の差はない。いくつかの日本側の調査でも日本の他の地方においてこの下降が認められている。すでに戦前の日本人の水準ならびに一般に認められているアメリカ人の平均以下になっているが、この下降傾向の原因は不明である。」との記述があることが認められる。

(4) 《証拠省略》によれば、広島大学原爆放射能医学研究所の年報三二号(一九九一年)中の「造血系細胞への放射線の影響」(重田千晴)には次の記述があることが認められる。すなわち、「放射線被曝は生体に多大な影響を与える。ことに生体内で増殖能力の高い細胞再生系が影響を受けやすくそのような組織のひとつに造血組織があげられる。放射線被曝による急性障害の鍵を握るのが造血障害であるとともに、被爆者の晩発障害としての白血病が多発することも良く知られた事実であり、その障害がきわめて長期間にわたって持続する。造血組織である骨髄で産生される血球には、赤血球、白血球(好中球、好酸球、好塩基球、単球、マクロファージ等)、リンパ球、血小板といった機能の違う成熟細胞がある。これらすべての血球は、ヒエラルキーのあるそれぞれの血球系統の造血幹細胞から由来し、常におびただしい破壊に見合う産生がそれぞれの分化経路の造血因子によってお互いに複雑な調節を受けながら行われ一定の状態を維持している(図1。本判決添付の別紙(六)のとおり。)。従って、放射線被曝後の血液細胞の障害および回復は、骨髄にあるこれらの造血幹細胞の障害の度合いが機能細胞のその後の供給を左右する要ともいえる。……われわれは昭和六〇―平成元年度核融合特別研究班の一員として四種のヒト骨髄幹細胞(CFU―E、BFU―E、CFU―C、CFU―F)(CFU―E、BFU―Eは赤血球系の造血幹細胞、CFU―Cは白血球系の造血幹細胞、CFU―Fは幹細胞増殖の環境そのものを提供する骨髄間質系細胞の前駆細胞である)の放射線感受性を検討したのでその結果を図2(本判決添付の別紙(七))に示す。放射線源は三種類を用い、ほぼ同一の照射線量率で行った結果の生存曲線を図2に示すが、いずれも幹細胞の生存率は照射線量の増加とともに指数関数的に減少している。低線量率照射でのγ線、Cf―二五二中性子線(γ線と中性子線の混合放射線:その比約一:三)、トリチウム水β線いずれの成績においても少線量から急性効果を認め、造血組織の放射線感受性が高いことが裏づけられた。この図を基にD0値(対照細胞等の生存率が三七%になる照射線量の値をいう)を表1に示す(なお、Gyは照射線量の単位で、グレイである。

表1 ヒトの造血幹細胞のD0値と生物学的効果比(RBE)

放射線源 幹細胞 D0値(Gy) RBE

コバルト―六〇 CFU―E 〇・八四(誤差省略) (省略)

トリチウム水 CFU―E 〇・二九(誤差省略) (省略)

カリホルニウム―二五二 CFU―E 〇・三一(誤差省略) (省略)

コバルト―六〇 BFU―E 〇・八八(誤差省略) (省略)

トリチウム水 BFU―E 〇・六八(誤差省略) (省略)

カリホルニウム―二五二 BFU―E 〇・五〇(誤差省略) (省略)

コバルト―六〇 CFU―C 一・二〇(誤差省略) (省略)

トリチウム水 CFU―C 〇・六三(誤差省略) (省略)

カリホルニウム―二五二 CFU―C 〇・五二(誤差省略) (省略)

コバルト―六〇 CFU―F 一・二四(誤差省略) (省略)

トリチウム水 CFU―F 〇・九二(誤差省略) (省略)

カリホルニウム―二五二 CFU―F 〇・六〇(誤差省略) (省略)

(なお、同表のカリホルニウム―二五二に係るD0値(Gy)の誤差は±〇・一を超えるものはない)

……原爆被爆者において被爆後急速に減少したのはリンパ球を含めた白血球及び血小板であったが、骨髄の実質細胞である血球を供給する幹細胞の障害は非常に強く、ことに混合放射線であるCf―二五二中性子線は原爆による放射線のモデルと言われているが、幹細胞への障害の程度が一層大きいことが明らかである。……Ⅱ 晩発効果……われわれが……昭和五八~五九年にかけて行った研究……の時点で一般の血液検査では全例ほぼ正常の血液所見を示しており、赤血球系、白血球系幹細胞はいずれも正常範囲に回復していることから正常の造血機能が営まれていることを示唆するが、造血の場を提供するCFU―Fの数は有意に低い。」

(5) 《証拠省略》によれば、「廣島醫学」第三六回原子爆弾後障害研究会特集号(一九九六年)中の「放射線障害研究:これまでの知見と将来展望」(朝長万左男)に以下の記述があることが認められる。すなわち、「放射線誘発腫瘍の発生機構:白血病をモデルとして……原爆被爆者における骨髄内の幹細胞の定量的測定は行われていないため、線量依存性の量的変化が存在するのかは不明である。この点についてはビキニ環礁の水爆実験で被爆した第五福龍丸の乗組員の骨髄造血前駆細胞を定量した平嶋らの報告が唯一のものである。二〇数年後の前駆細胞量がまだ正常化していない(造血能は見かけ上正常化している。)ことはきわめて注目される。動物実験では、Seedによるビーグル犬における少量の連続長期放射線照射による白血病の高率誘発実験において、白血病発生前のかなりの期間、造血前駆細胞量の低下が観察されていることは、平嶋らの観察と一致する。もちろん平嶋らの観察症例数は少なく白血病例は発生していないが、放射線による骨髄障害が恐らく幹細胞レベルでの障害として長期に持続したことを裏付ける重要な知見である。……Ⅴ 線量効果 白血病の発生と被曝線量の関係については、ALL(急性リンパ性白血病である)とCML(慢性骨髄性白血病である)についてはlinear responseが、AML(骨髄異形成症候群を含む急性骨髄性白血病である。甲一二四。なお、同号証には、①ALL、②AML、③CML、④成人T細胞白血病を含むその他の白血病の四つの病型にまとめ、放射線の影響分析を一九八六年線量推定方式(DS八六)に基づいて行い、放射線の影響は②や④よりも①と③の発生率に有意に強く現れた。五〇mGy以下、おそらく一六mGy程度の被曝線量においても①と③の過剰の発生が認められたが、②の過剰発生は、五〇mGy以上、おそらく少なくとも二二九mGyの線量が必要と思われた《八四二頁》旨の記載がある。)についてはnon―linear(quadratic)responseが示唆されており、〇・五Gyをthreshold doseとする仮説はいずれの病型でも棄却されている。……放射線による直接的な幹細胞の突然変異説はlinear dose responseに適合する度合いが高いと思われる。この仮説に基づけば、個体レベルでは問題とならない低線量であっても、集団被爆の観点からは十分に突然変異の確率は保持されることになる。現在の国際的な放射線防護基準はこの考えに立っている。一方幹細胞の一定期間の量的低下を伴う組織障害説に立てば、その状態を起こすに足りる最低のthreshold dose(しきい値)が存在しなければならない。先に述べた様に疫学的研究の結果は必ずしもしきい値の存在を明らかにしていないが、いずれの病型においても〇・五Gyがしきい値であることは否定的であり、もししきい値が存在するとすれば、〇・五Gy以下のところにあると推定される。〇・五Gy以下の低線量域の白血病誘発効果についての論争は今後も続くものと考えてよい。」

(6) 《証拠省略》によれば、「電離放射線の非確率的影響 国際放射線防護委員会専門委員会1の課題グループの報告書 一九八四年五月に主委員会によって採択されたもの」(二六頁以下)に、増殖中の造血細胞は、身体でも最も放射線感受性の強いものの一つである。一Gyを超える線量の全身急照射で数分以内に骨髄とリンパ濾胞に細胞学的変化が観察される。同程度の全身照射の後間もなく末梢血球数に変化も起こり、リンパ球数は直後に減少する。……被爆した人の五〇%を六〇日以内に死亡させるのに要する急照射の線量は正確にはわかっていないが、二・五~五Gyの範囲にあると推定されている。ヒトでは、〇・五Gy以下の線量では造血細胞の枯渇をほとんど生じないので、生存には影響を及ぼさないが、七~一〇Gy以上の急照射の線量では、……被曝した人の一〇〇%が死亡すると考えられている旨の記述があることが認められる。

また、《証拠省略》によれば、「放射線事故の緊急医療」―RI使用施設から原発サイト―中の五五頁には、「リンパ球数と被曝線量」として次の表が掲げられていることが認められる。

リンパ球数 線量

減少なし 二五から五〇rad以下

軽度減少 一〇〇rad以下

五〇%以上の減少 一〇〇rad以上

著明な減少 三〇〇~一〇〇〇rad

(以上省略)

なお、《証拠省略》によれば、同書に、体内に取り込んだRI(ラジオアイソトープの省略)(放射性同位元素)物質を体外に取り出すことはできないから、絶対に取り込まないようにしなければならない、との記述があり、これに続いて吸入、経口摂取、皮膚・傷口からの摂取(乙二六でもこれら三つがRI物質の体内に入る経路としている。)の防止の各項目を設けてRI物質を体内に取り込まないための注意事項を列挙していることが認められる。

(三) 原爆放射線と白血球減少症に関する統計上の知見

《証拠省略》によれば、長崎大学の研究者グループは長崎市が行った原爆被爆者の検査成績の解析を続けてきたが、白血球異常はしばしば見られ、昭和四〇年から昭和六〇年までに被爆者に白血球数が三五〇〇/μl以下である者の出現率が年間で男性で約一・五%、女性が二・六%と女性で有意に(P<〇・〇一)に高く、男女とも受診時年齢が高くなるにつれて出現率が高くなる傾向が認められるとともに、時間の経過とともに白血球数が減少する傾向が見られたことが認められる。

4  放射線と免疫能との関連

《証拠省略》によれば、「人体影響一九九二」(二五八頁以下)に、免疫能への影響に関する記述があり、被爆後初期における免疫系の障害とそれによって生じる生体防御能の一覧表を次のとおり示している。

障害のパターン

(発生の時期)

要因

機能への影響

リンパ球の急激な減少(一日以内)

成熟リンパ球の死滅

全般的な低下

抗体・補体など体液

火傷・外傷による漏出

溶菌作用の低下

性因子の減少(直後~)

抗体産出細胞(Bリンパ球)の減少

貪食細胞(好中球・単球)の食菌能の低下

好中球・単球の減少(三~五〇日)

造血能の障害による供給不足

細菌に対する貪食・殺菌能の低下

リンパ球回復の遅延(四週目~)

分化・成熟過程の不全細菌毒素暴露による特定のTリンパ球の排除・不活化

感染症からの回復の遅延

内在性のウイルスの活性化

外来性のウイルスに対する易感染性

放射線によって誘発された変異細胞の排除機能低下

また、同書の二六一頁以下で、一九七四年から一九七七年及び一九八四年から一九八五年までの各調査で、外来性の抗原に対して生体内の成熟Tリンパ球が反応し増殖する機能検査において、被爆時に年齢が高く被曝した放射線量が多かった人ほど低下した結果が報告されたことに関し、「筆者はこれを放射線の直接的な影響ではなく、被爆後の成熟Tリンパ球の回復が、胸腺の加齢による退縮の影響で高齢者ほど不十分であったためと推察している。……末梢の成熟リンパ球は放射線にきわめて感受性が高く、その多くが死滅してしまう。その後、骨髄の幹細胞から胸腺を経て成熟Tリンパ球が分化し末梢に供給されるが、胸腺はすでに生後一年後から退縮しはじめている。したがって、この際の胸腺におけるTリンパ球の分化・成熟の効率は、被爆時の年齢が高ければ高いほど悪かったことになる。」との叙述があることが認められる。

三 主として医学上の観点からする検討

1  前記第六、二の認定事実によれば、原告は広島原爆の投下時に爆心から一・八km離れた広島市皆実町の船舶通信補充隊の通信講堂内において原爆に被爆し、身体に放射線の照射を受けた後、同日(昭和二〇年八月六日)放射性降下物である(と推認される。)黒い灰を身体に被ったほか、呼吸時にこれを吸入し、通信講堂内において受けた顔面の傷害部位からも放射性物質を体内に取り込み、さらに同日から同月一三日まで同町内の通信講堂付近、比治山付近、宇品の陸軍船舶練習部付近において救護作業に関与しつつ生活を続けた間に、残留放射能による照射を受けたほか、土砂、瓦礫等の埃、塵芥とともに放射性物質を吸入し、また食物、水等とともにこれらを摂取し、顔面の傷害部位から体内に取り入れたものと推認され、これらの事実からして、原告は、初期放射線の照射を受けたうえ、残留放射線による照射とともに放射性物質の相当量を体内に取り込み、体内においても長期間にわたって原爆の放射線による照射を受けてきたものと認められるのである。

2  次に、前叙(第八、二2(一)(1))のとおり、一般に肝機能障害の原因として放射線の被曝のほかに、アルコール、ウイルス、細菌、肥満、薬剤、腫瘍等が挙げられるが、原告についてはアルコールの多量摂取、白血球及び赤血球の増加剤以外の薬剤の使用、肥満、腫瘍などがあったとは認められず、本件処分時までにウイルス等の感染があったとの資料もない。

また、第六、三5の認定のとおり、昭和六〇年五月当時の右京病院における診察検査の結果、原告の白血球減少は白血球を構成する好中球の減少によるものであることが認められ、第八、二3(一)(3)で認定した、白血球増多症は好中球増多症に基づく場合が最も多く、同様に白血球減少症もやはり好中球減少症によるのが普通であることなどにかんがみると、原告の白血球減少の原因も好中球減少にあると推認するのが相当である。そして、先に認定した好中球減少の原因として挙げられる放射線、脾腫を伴う疾患(脾機能亢進症及び肝硬変症等)以外の感染症(ウイルス感染症、腸チフス等)、骨髄抑制因子の作用(抗癌剤等)、血液疾患、全身性エリテマトーデス、悪液質、アナフィラキシー様ショック、遺伝性疾患に原告が罹患したことを窺わせるに足りる経過又は資料等はない。

被告らは、原告の場合慢性肝機能障害ないし慢性肝疾患により脾臓が肥大し、これにより白血球が減少したと考えるのが常識的であると主張する。

しかし、第八、二3(一)(4)で認定したとおり、今日の多数者の考えでは、脾腫と血球減少症との因果関係については、肥大した脾では赤色髄の増大に伴い、血球捕捉、破壊能力が増し、その結果骨髄での造血は正常ないし亢進しているにもかかわらず、末梢血中では血球が減少するという経過を辿るものと理解されるのであるが、原告には二度にわたる骨髄検査によって骨髄の低形成が見られる点からしても、被告らの主張する見方を採用するのは困難である。また、原告の白血球減少の傾向(昭和四〇年からほぼ現在に至るまでの原告の白血球数が一時期を除いては正常値の範囲に至らないうえ、骨髄の低形成が伴う病的な症状であることは、これまでに詳細に認定したところから肯定することができる。)は昭和四二年に初めて他覚的な検査結果で明らかになったものであるが、その当時において脾腫が存在したとすれば、慢性肝炎からの肝硬変への移行が疑われるが、その場合、白血球数との関連においても原告の白血球数の推移と整合しないというほかない。原告の白血球減少症が慢性肝炎又は肝硬変を原発性疾患とする脾機能亢進症によるものとの被告らの主張は採用できない。

3  1、2の検討の結果、これまでに認定した諸事実に基づき、《証拠省略》を参酌し主として医学的な観点から考えると、原告が昭和二〇年秋ごろから本件処分時に至るまでほぼ継続して自覚してきた脱力感、易疲労感、食欲不振等は白血球の減少によるもの、肝機能障害によるもの、その双方を原因とするものとの可能性が、その他の事由を原因とするとの可能性より相対的に高いと認められるし、昭和二〇年秋以降の脱毛、歯茎からの出血も被爆時の放射線の影響によるものと見るほかなく、これらの点等に加えて昭和四〇年から昭和六〇年までの白血球数、肝機能検査の結果等からして昭和六〇年一一月当時には原告には白血球減少症と肝機能障害があってこれらが前記1の各態様による広島原爆の放射線被曝(照射)により発症したものと見ることが相対的に最も可能性(確率)の高いものであると認められる。

もとより、原告の昭和六〇年当時に存在した白血球減少症が発症した時期を確定することができず、例えば、昭和二〇年ころに脱力感等の原因となった可能性のある白血球減少がその後昭和六〇年にまで至ったのか、この症状はその後軽快した(この可能性も前記の医学上の知見に照らし軽視することはできないであろう。)が、別な態様による放射線被曝(例えば、長期的な体内被曝も同様に可能性がある。)を原因とする白血球減少症がそののち発現し、これが今日に及んだものか、などについてもこれを明らかにするに足りる証拠はない。肝機能障害についても、昭和四二年当時において他覚的な検査によってそれがほぼ確実なものとして現れるに至ったが、それ以前にあっていつ発症したものかを明らかにはすることができない。

しかし、本件において当事者双方から提出された医学関係文献において白血球減少症なり肝機能障害なりの原因として放射線が挙げられ、他方それぞれに相当数の原因が挙げられているうち、先に認定した原告の諸症状と符合する原因が放射線以外には見当たらないことなどからして、主として医学(疫学)的な観点からは前叙のとおり判断するほかないところである。

四 物理学等上の知見と因果関係の存否の判断

1  原爆による被曝線量の推定と推定の体系(モデル)の概要

(一) 原爆の物理的破壊力については、第八、一で認定したとおりである。

(二) 《証拠省略》によれば、以下の各事実が認められる。

(1) 原爆による被曝線量の推定体系の沿革等

一九五〇年代中ごろまでにABCC(原爆傷害調査委員会)が広島被爆者に白内障と白血病の発生率が高いとの報告をし、正確な線量推定データとそれを得るための技術が必要となり、日本の文部省と米国原子力委員会(AEC)が線量推定研究プログラムを組織した。

一九五六年(昭和三一年)にAECに要請されたアメリカのオークリッジ国立研究所の科学者が「ICHIBAN計画」のもとに基礎作業を進め、ネバダ核実験場において五〇〇mの高さの塔に中性子とγ線源(小型非遮蔽原子炉等)を用い、日本家屋による遮へい実験等を行い、空気中の線量を距離の関数として表したTentative 一九六五 Doses(T六五D)との線量推定体系を構成し、日本における広島及び長崎での熱ルミネッサンス(TL)測定値等によって得られたγ線の空気中のカーマ(空中線量値)によっても、T六五Dの数値を確証するものとなり、それ以来、T六五Dは放射線の危険率評価にかなりの信頼度を持つとして使用されたが、一九七六年(昭和五一年)ころからT六五Dシステムの正確さを決定するのに十分なものがないとの指摘が米国放射線防護測定委員会の特別委員会から出され、一九八〇年(昭和五五年)にはγ線と中性子線の広島でのT六五D値が以前推定されたようには正確でないとされた。そこで、日米両国で実務委員会が設置され、爆弾の出力、爆弾からの放射線の漏洩、放射線の空中輸送、γ線の熱ルミネッセンス測定、中性子線の測定、残留放射能、家屋や地形による遮蔽、臓器線量、線量推定方式の作成と誤差解析が行われ、一九八三年(昭和五八年)から一九八六年(昭和六一年)までの四回に及ぶ日米共同のワークショップを経て、放射線影響研究所のDS八六(DOSIMETRY SYSTEM 一九八六)の使用を認めるに至った。

前記実務委員会の検討事項に関する所見及び見解は以下の(2)から(10)のとおりである。

(2) 爆弾の出力の推定と検証

広島・長崎に投下された原爆の中性子線及びγ線の線量決定は、即発中性子線、γ線の線源の強さを示す量、すなわち爆弾の出力の決定から始まる。長崎の爆弾はTrinity及びその後の実験での爆弾と同型で、火球の膨張の測定結果では二〇ないし二二ktで、計算出力の二二ktと一致した。広島と長崎両市におけるタイル表面の溶解、花崗岩の表面剥離、電柱の黒焦げ等による熱効果の測定によっては一二ないし一八ktと推定された。測定器ゾンデによる圧力上昇の時間の測定結果からは、解釈をめぐって不明な点はいくつかあるものの、一六・五ktと解釈された。爆風効果からの評価もいくつか行われ、なお再吟味を要するが、長崎爆弾の出力を二一ktとすれば、広島と長崎の相対的爆風被害に関するデータの出力比が〇・七とするものがあり、これによると広島の出力は一五ktとなった。硫黄の速中性子の放射化に関する測定値と計算値との比較によれば、広島の出力は一三ktと示唆され、建築材中の石英に対するγ線量の線量測定によれば、種々の測定値の間で差異があるので、正確な結論をだすことはできないが、一応一三ktと示唆された。これらの検討に基づいて広島の爆弾の出力は一五kt、誤差の範囲は二〇%(プラスマイナス三kt)とされた。

(3) ソースタームの計算とその検証

爆弾の容器から放出される中性子とγ線の数、エネルギーと角度の分布(放射線の「ソースターム」又は「漏洩スペクトル」という。)を決定する必要がある。ソースタームは、核分裂で放出された放射線とその二次放射線が爆弾の外殻材料を通過し、爆弾の周囲の大気を通過することを考慮したコンピュータープログラムを用いて計算された。二つの国立研究所が爆発中の爆弾内部における輸送と爆発に伴う流体力学運動の複雑な計算を行ってその結果(計算値)を出し、これと広島型爆弾の部品を使って臨界実験集合体による実験測定値、長崎爆弾と同型の爆弾を長崎と同高度でさく裂させた実測値等との比較等により、広島爆弾のソースタームは一五kt±二〇%の推定値の実験誤差の範囲内に計算値は一致した。

(4) 初期放射線の空中輸送

爆弾の中性子とγ線の線源から放射線は空気中を経て地域に伝播していく。爆弾から放出される放射線や空気中での中性子捕獲によって作られるγ線のほかに、複雑かつよく理解されていない流体力学的運動を示す核分裂生成物のγ線(遅発γ線)が地上に到達するまでの輸送の計算が、ソースターム、爆発の地上地点、大気密度と湿度状態、大地の組成等のデータに基づいて行われ、核実験でのγ線測定(数十秒の間の時間の関数)が遅発γ線計算モデルの検証として使用された。その結果、DS八六に基づく広島・長崎原爆の中性子とγ線からの空気中組織カーマ(カーマとは「電荷を持たない電離放射線によって単位質量の物質のなかで遊離されたすべて荷電粒子の初期運動エネルギーの和」と定義されるものの、要は、仮想の生体等価物質の吸収したエネルギーのことをいう。)が明らかにされた。広島でのDS八六によるγ線カーマは、地上距離によってT六五Dの約二ないし三・五倍であり、また中性子カーマはT六五Dの約一〇分の一である。この差は爆弾の推定出力を一二・五ktから一五ktとしたことによるほか、T六五Dが乾燥した気候であるネバダ実験場で得られた空中輸送データを用いていたのを修正したことなどによるとされた。

(5) γ線の熱ルミネッセンス測定

自然放射線に被曝した陶器の年代を測定することを目的に開発された熱ルミネッセンス線量測定法を用いて日米英の各研究者が一九六三(昭和三八年)から広島・長崎の被爆地内の煉瓦やタイルの中の石英成分が受けたγ線量を測定してきた。広島で測定された結果では、爆心地付近での一〇〇Gyから、一六〇〇mでの約〇・三五Gyまでの範囲であった。各測定間の調整の結果、広島では爆心地より一〇〇〇m以内では実測値と計算値の間に平均九%、一〇〇〇m以遠では平均三三%の誤差が認められたが、T六五Dに比べて、DS八六による理論値の方が実測値と良く符合することが確認された。しかし、広島における一〇〇〇m以遠ではDS八六による理論値が約一八%増加しなければ実測値の平均値と一致せず、そのためには広島原爆の出力を一〇%増加させ、また中性子の出力スペクトルをもっと高エネルギーのものとすることを示唆する見解も発表されている。

(6) 中性子フルエンスの測定

広島原爆の投下後間もなく日本の研究者が、爆心地から一kmまでの電柱の絶縁碍子の接着剤に使われていた硫黄に速中性子により誘導されたリンの放射能を測定し、爆心地から一一八〇mまでのコンクリート建築物の鉄筋等の鋼鉄中の僅かな不純物のコバルト中に誘導された放射能を測定し、また岩石中に誘導されたユウロピウムの放射能を測定した。リンに関する測定結果は特に四〇〇m以遠で測定誤差が大きく、測定値と理論値の一致を確認するに足りないものであった。コバルトの放射能測定では、広島市における理論値は、爆心地から遠ざかるほど測定値を下回り、一一八〇m地点では三分の一倍となった。岩石中のユウロピウムの放射能測定では、中性子フルエンスの評価を正確に行うことができなかった。

(7) 残留放射能の放射線量

DS八六で残留放射能による線量は算出されなかった。

(8) 家屋及び地形による遮断

実際の家屋等の資料に基づいて家屋等のモデルを作成し、遮蔽されていない屋外の放射線場と組み合わせて家屋集団内またはそれに隣接する場所における中性子線とγ線のエネルギーや角度分布を計算した。その結果、広島における日本家屋の平均透過係数はγ線が〇・四六、中性子が〇・三六とされた。

(9) 臓器線量測定

一九四五年(昭和二〇年)当時の典型的な日本人の成人と若年者に適したファントム又は計算用モデルの選択、被爆者がいた位置に置かれたファントム内の適切な位置における中性子線とγ線のエネルギーと角度分布を計算するための計算方法の開発、フルエンスからのカーマ及び複数面における臓器の構造決定、実験とその他の計算による比較・検証を経て、DS八六では、赤色骨髄、膀胱、骨、脳、乳房、目、胎児/子宮、大腸、肝、肺、卵巣、膵、胃、睾丸及び甲状腺について線量測定を行った。その結果、被曝した成人の臓器別吸収線量の空中線量に対する比率(透過係数)は骨髄がγ線については〇・八一、中性子線については〇・三七、大腸がγ線については〇・七四、中性子線については〇・一九であった。

(10) 一九八六年線量推定方式

DS八六は、以上の(2)から(9)に基づいた最新の計算方法と、爆弾の出力と放出放射線、自由野の放射線環境、日本家屋や「グローブ」の場合の遮蔽並びに臓器に対する人体遮蔽等のモデルを統合したものといわれている。

2  線量推定体系及びしきい値論に基づく被告らの主張に対する判断

(一) 被告らは、放射線の人体に及ぼす影響のうち確定的影響とよばれるものについては一定の線量以上でなければ影響が検出できないという意味でのしきい値があるとし、被曝線量の推定体系に基づいて推定した原告の被曝線量(遮蔽物がなかったとした場合、原告の初期放射線による推定総被曝線量は、DS八六によると一五・一三ラド、T六五Dによると六・六ラドとなる。残留放射能による被曝はその推定線量からして考慮の必要はないとする。家屋遮蔽、人体遮蔽を考慮すると、なお少量になるとする。)を前提とすると、原告が原爆の放射線に被曝したことが原因で肝機能障害及び白血球減少症に罹患したことが高度の蓋然性をもって証明されたとは考えられない旨主張する。

(二) ところで、弁論の全趣旨によれば、被告厚生大臣は昭和六〇年当時、原子爆弾被爆者医療審議会(以下「医療審議会」という。)において被曝線量の推定方式としてT六五Dを使用していたこと、原告は昭和六〇年一一月に本件処分を受け、昭和六一年六月に異議申立を棄却されたが、いずれもT六五D方式に基づく判断によるものであったこと、しかし他方、次のような原爆医療法七条、八条所定の認定例があることが認められる。

(1) 爆心地から一・八kmの広島市比治山町で被爆した昭和七年七月一六日生まれの男性。肝機能障害で昭和四七年一月に申請し、認定を受けた。

(2) 爆心地から一・五kmの同市中広町で被爆した昭和五年五月五日生まれの男性。肝機能障害で昭和五一年一〇月に申請し、認定を受けた。

(3) 爆心地から二・〇kmの同市広島駅前で被爆した大正九年五月六日生まれの女性。肝機能障害で昭和五二年四月に申請し、認定を受けた。

(4) 爆心地から一・五kmの同市千田町で被爆した大正八年一二月一日生まれの女性。肝機能障害で昭和五四年一月に申請し、認定を受けた。

(5) 爆心地から一・八kmの同市立山で被爆した大正一五年一二月二一日生まれの男性。肝機能障害で昭和五四年二月に申請し、認定を受けた。

(6) 爆心地から一・七kmの同市観音町で被爆した大正一〇年一一月一五日生まれの男性。慢性肝炎で昭和五〇年九月に申請し、慢性肝機能障害で認定を受けた。

(7) 爆心地から二・一km~三・〇kmの同市南千田町に昭和二〇年八月七日に入市した昭和七年八月二五日生まれの男性。慢性肝炎で昭和五〇年一一月に申請し、慢性肝機能障害で認定を受けた。

(三) 被告らの主張の要点からすると、少なくとも前項の(1)、(3)、(5)、(7)の申請において「起因性」を認定することは科学的ではなく、これらを却下するべきものであったというほかないであろう。もとより、当裁判所の立場においてはこれらの申請例において、被爆時の状況、それから推定される被曝線量、傷害の内容、程度、その後の発病の状況、症状の推移等を総合考慮して認定を行うことは可能であるが、被告らは前項の認定例においてこれらの諸事情を考慮したとの主張立証をしなかったし、《証拠省略》によって認められる昭和六〇年当時の医療審議会における審議の実情に照らしても、申請者に関わる現在までの諸状況について実情調査が行われたとは窺うことができない。

これらの認定例に加えて、第八、二2(三)で認定した昭和四五年三月までの認定の実情をも視野に入れると、被告らの因果関係に関する主張を採用することに躊躇を感ぜざるをえない。

(四) 一般に、物理学等において特定の原因と特定の結果の間における因果法則の存在をいう命題を、有意の同一条件のもとでの実験により当該原因から当該結果が発生することを確認(検証)することができる分野が存在することは周知のことである。しかしながら、本件における証明命題のように、証明対象が多数の因果法則が関与しまた多数の現象が介在するものであったり、人為的に特定の原因を与えて結果の発生の有無を確認することが許されないような場合(医学の分野ではこのようなことが多い。)であったりすると、原因から結果に至る過程を細分化して各部分に関する複数の法則を組み合わせたり、総合するなどして結果の予測をせざるをえないことがある。このような場合には、利用しようとする諸法則自体の正確性等のほかに、これらが当該命題の証明に適するものであるか、実験条件が有意に同一であるか、組み合わせ等の総合あるいは解釈が正当であるかなどの複雑かつ難解な問題が生じ、確定的な事実予測をすることが困難なことが多いであろう。

本件においても、広島原爆の被爆により原告が肝機能障害、白血球減少症に罹患したかどうかが証明対象命題であって、これが人為的に有意の同一実験条件下での確認を許さないものであるばかりか、広島原爆が歴史上ただ一つ製造投下されたものであって、長崎原爆のようにその後も同一タイプの爆弾の実験が行われたものではないことが一層問題を困難なものとしてきたのである。この点は広島原爆の出力の推定、エネルギースペクトルの確定(推定)等に反映し、それぞれに見解が分かれ、いまだ議論が続けられていることは前記認定のとおりであり、特に爆心地から一〇〇〇m以遠での中性子線量に関しては本件においても賛否両説からの論説が提出された状況にある。

T六五DにしてもDS八六にしても、ネバダ実験場による実験結果を基礎にした出力計算、放射線の空中輸送計算、放射線測定等、個々的には有意の同一実験条件下での確認を経たものを含み、これが全体として科学的な推定体系であることが否定されるものではない。しかし、本件における原告のような複合的な放射線被曝のあった場合における被曝線量全体を推定するには適さない点(顔面傷口からの体内取入れ量、食事、呼吸時の摂取量は不明であろう。)もあり、これらの線量推定方式に基づいた被曝線量を原告の受けた具体的な被曝線量として確定的な前提とすることは相当ではない。

また、被告らの挙げるしきい値論も放射線治療の現場等での人体照射における障害発生の線量をいうものであり、動物実験による報告では実験条件に対する評価も異なりうるほか、比較的短期間の照射とそれに対する反応を観察した結果の知見であるから、これまた原告におけるような四〇年以上にわたるそれも放射性物質の体内取り込みをも含む態様の被曝による人体に対する影響の有無を論ずる場合においては、その有効性に疑問を呈さざるをえないであろう。

3  まとめ

これまでに詳述してきた原告の生育歴、被爆時の状況、発病前後の健康状態、症状の推移、医学上の知見等とその検討に加えて、物理学等の知見(なお、生物学の観点からの議論については、甲八五、乙六六等)とそれに関する被告らの主張する諸点を考慮しても、第八、三で述べた認定判断を否定するには足りず、これを維持するのが相当であり、被告らの主張は採用することができない。

第九原告の「要医療性」

前記(第六の一から五)認定事実によれば、原告は現在においても、自覚的には疲労感、倦怠感、食欲不振が続いており、日常にあっては午前中は横になって休養をとって過ごし、時間をかけて家事を行い、裁判用務、通院のほかは外出することが少ない生活を送っている。また、依然として白血球減少症状が継続し、これが骨髄の低形成像が示唆する造血機能障害によるものと認められることから、免疫機能の低下が懸念されるとともに、肝機能障害については現在通院先の病院においてはC型慢性肝炎と診断され、前記医学上の知見として確定したとおり、肝硬変への移行が予測されるが、その移行診断は臨床上も容易ではないことから、慎重な経過観察、各種検査が必要とされていることが認められる。また、当然に全身状態の維持にも厳重な観察を要するであろうし、急激な衰弱等が生じた場合には応急的な治療が迫られることも十分予想されるところであるから、原告は少なくとも四週間に一度程度の定期的な医師の診察のほかに、適時の応急的な治療などをも必要とすると認められるから、原告は本件処分申請時から現在に至るまで引き続いて原爆医療法七条一項に定める「医療を要する状態にある」と認めるのが相当である。

第一〇本件処分の違法性

これまでの認定判断並びに弁論の全趣旨を総合すると、原告が本件処分当時に罹患していた肝機能障害及び白血球減少症状は、これらが原爆の放射線被曝以外の原因によるとの可能性より原爆の放射線被曝による可能性が最も高かったのであるから、被告厚生大臣としてはこれらの疾病が原爆医療法八条一項所定の「原子爆弾の傷害作用に起因する」との認定をするべきであったところ、T六五Dの被曝線量推定体系及びいわゆるしきい値論にしたがい原告について「起因性」を否定する意見を提出した医療審議会に同調して本件処分を行ったと認めるほかない。してみると、本件処分は、行政処分の前提となる基礎事実の認定を誤った重大明白な瑕疵があり、違法なものとして取消を免れない。

第一一被告厚生大臣の故意又は過失と原告の損害額

一  医療審議会の審議のあり方とその実態

被告らは、原爆医療法八条一項に基づく認定申請については、医療審議会において放射線学、内科学等の各専門家が、申請者について原爆被爆による放射線量を求め、これを基礎として申請者の被爆時の状況、その後の病歴、現症状等を総合的に検討し、その時点における医学的知見に基づいて「起因性」「要医療性」を協議判断し、医療審議会としての意見を厚生大臣に具申し、厚生大臣は医療審議会の意見を聞いて認定又は却下の処分を行うこととなっていると主張した(第八準備書面)。

しかし、昭和四七年から医療審議会に関与し、昭和六〇年、昭和六一年当時医療審議会の委員であった証人野村武夫の証言(当時日本医科大学教授)によれば、本件処分当時の医療審議会において、被曝線量推定体系のT六五Dによる別紙(八)の「認定基準(内規)」と同じような線量評価基準にしたがって申請者の被曝線量を推定し、推定した線量を前提として申請にかかる疾患の放射線「起因性」を判定するのが例であり、委員が申請者の被爆に関する状況資料(本件でいえば乙八)等に目を通すことはなく、申請者を診察することもなく、通常申請者の主治医から意見を聴取せず、申請案件に関する要点を記載した書面によって一件あたり数分間の検討をして結論を出すのが通常の扱いであり、審議の記録は係官がメモ程度のものを作成するにすぎず、委員の確認を得るような議事録は作成されなかったことが認められる。

二  本件申請についての審議内容

ところで、被告らは、本件処分に関する医療審議会における審議内容については何ら主張立証をしなかったから、証人野村武夫の証言による審議状況を通常のものと推認するほかなく(同証人は原告の本件処分時の審議内容の記憶がないと証言した。)、審議時間からしても、本件申請について推定線量としきい値によって原告の申請にかかる肝機能障害及び白血球減少症状について、被爆時の状況、その後の病歴、現症状等を総合的に検討することなく、これが原爆の放射線によるとの可能性を否定できるとの結論を出したものと見るほかない。この審議の実態は、被告らが本訴で主張した審議のあり方に反するばかりか、厚生省公衆衛生局長の前記認定の「治療指針」「実施要領」にも反するものであり、その審議の結果は、従来の認定例との整合を欠くものもあり、当裁判所の見解からしても支持できないものであって、少なくとも過失により審議会として払うべき注意義務に反する違法のものであったとの誹りを免れない。

三  本件処分と被告厚生大臣の故意又は過失

被告厚生大臣としては医療審議会の審議実態が前項のような違法のものであることを知っていたか、少なくともこれを知るべき立場にあったのに、格別の是正措置をとることもなく(その旨の事実を認めるに足りる証拠はない。)、たやすく医療審議会の意見に同調して処分の前提となる事実の認定を誤り違法な本件処分をするに至ったから、同被告においても少なくとも過失があったというほかない。

四  原告の損害額

弁論の全趣旨によれば、被告厚生大臣の違法な行為がなければ、原告は、原爆被爆者特別措置法二条又は原爆被爆者援護法二四条に基づいて、本件処分申請の日の属する月の翌月、すなわち昭和六〇年六月から本件口頭弁論終結日の属する月の前月である平成一〇年二月までにおいても別紙(一)の計算表記載の特別手当又は医療特別手当を受給することができたことが認められ、その総額は一八七五万三五七〇円と計算される。また、原告が被告厚生大臣の本件処分により本件訴訟を提起追行することを余儀なくされ、長期間にわたって精神的な苦痛を受けたことがこれまでに認定した事実から容易に推認され、この精神的損害を金銭評価した慰謝料額は三〇万円を下らないものというべきである。したがって、原告は被告国に対しこれらの損害総額のうち主文掲記の金額及びこれに対する損害賠償請求事件の訴状送達日の翌日であることが同事件記録上明らかな昭和六三年一〇月一三日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができるというべきである。

第一二結論

以上の次第で、原告の本件各請求はすべて理由があるから正当として認容することとし、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結日 平成一〇年三月二五日)

(裁判長裁判官 大出晃之 裁判官磯貝祐一、裁判官吉岡茂之は填補のため署名押印できない。裁判長裁判官 大出晃之)

〈以下省略〉

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